「信用通貨」と「実物経済」ということ

 

1854年 日米和親条約が結ばれます。

そして、1856年 ハリスによって

日米修好通商条約がむすばれ、

 

最恵国待遇といってある国が有利な条件で

結んだ条約が他の国にも適用される

ルールがあります。

 

安政五か国条約が結ばれます。

1858年江戸幕府は、

アメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランス

のそれぞれと不平等条約です。 

 

勅許なく調印されたということで安政の仮条約

ともいうようです。

 

これ以後、明治政府もこれを責任をもって

継承し、国民も苦しみながら解消するのが

 

1895年 領事裁判権の撤廃、関税自主権一部回復

1911年 関税自主権の回復

結局50年以上を要しました。

 

時代の最先端を走っていた江戸経済

ハリスの力に押し切られた江戸幕府

 

  時代の最先端を走っていた江戸経済

 

ペリーが日本に来た頃、
日本の経済は、最先端を走っていました。
すでに信用通貨制度をとっていたということです。

簡単にいうと、一万円札は、

その価値は1円か2円くらいだそうですが、
 

誰もが一万円札は

その一万円分の価値のあるモノと交換できる

ことは知っています。
それが、貨幣も同じでした。

我々日本人は「政府を信用している」

ということになります。

 

「儲ける」ことができるのは、信じる者です。

江戸時代には、すでに

織田信長の時代に関税がなくなり、

豊臣秀吉の時代に度量衡も整備され、

全国どこへ行っても同じ量・同じ重さでした。

 

畳も全国統一規格です。

関東と関西の差はあるにせよ、

 

ドイツやイタリアが日本と同じようになったのは

明治以降ですから、その先進性がわかります。

 

17世紀には両替商(銀行)があり

「信用貸し」が行われ、抵当権を設定

手形証書の発行、商品取引、先物取引に

資金を提供するのが当たり前でした。
 

横道にそれますが、

日本の国の借金は1286兆4520円(2023.12月末)。
日本人は「日本政府を信用している」ので

デフォルトにはならない、
そういうことになります。
 

さらに、対して国民の金融資産が、それ以上。↓

もっとも、どこにあるのだろうと

思う方もたくさんいるはず。

 

息子がいくら借金をしても父がそれ以上もっている
ということらしいです。

あんまりいい例ではないですが。

 

話を戻します。
 

ところが、
ペリーの後、通商条約を結ぼうとしたハリスは、
すでに「信用通貨」制度をとっていた

日本の仕組みを理解できず、
 

地金の価値で評価する

実物貨幣の誤った自分の考えを
押しつけてきたわけです。

なるほどと思うとハリスの思うつぼです。
 

どこまでも日本が認めないなら、
アヘン戦争のようになる

といういい方であったといいます。
 

薄まった金が100%の純金と同じなわけねえだろ、

 

井沢元彦氏の例に例えれば、

100%オレンジジュースと水で薄まったオレンジジュース

の価値が同じなわけがない

 

ということ。

 

これがハリスらの主張です。

アメリカ人は今も昔も自信に満ちています。

 

  ハリスの力に押し切られた江戸幕府

 

水野筑後上忠德というひとがいます。

幕末500石の旗本。
 

幕末アメリカ総領事ハリスとイギリスオールコックらと
通貨交渉を行った責任者です。

ここからは、少しややこしいのですが、
我が国の経済に大きく影響したことです。
どうかおつきあいください。

当時「一両」小判(コバング)が四分、一分が四朱。
金貨の比較で20ドル=五両、4ドル=一両=四分
 

早い話が1ドル=一分(イチブ)だった

ということです。

 

ここだけ理解していただけると

次も分かります。

ところが1ドル貨が銀貨であったため、
同じ銀貨同士、同種同量交換というのが

ハリスサイドの主張???。

その主張に沿って同種同量で交換するとなると、
1ドル=三分となってしまうのです。

当時日本の銀貨は、幕府が刻印を打つことによって、
国際通貨の銀貨の三倍の価値を付与していました。

つまりこれが、日本(江戸幕府)の「信用通貨」制度。

繰り返しますが、現代の不換紙幣と同じで、
小判の補助通貨で現代の紙幣と同じ価値をもっていた
ということです。

江戸初期の慶長小判 徳川家康が造らせた

 

したがって水野の主張は、
同種同量交換するなら

貨幣の品位と価値を同等にする必要がある

ということになります。

 

わかりにくいですよね。

つまり、

 

日本の銀貨は、純粋の銀でないが、

信用によって純粋の銀と同等の値打ちがあるんですよ。

これが理解されなかった。


日本は当時アメリカと異なり高度な倫理社会だった

ということになります。

 

もしかしたら、理解しようとしていなかった

かもしれません。

万延大判 江戸時代最後の大判

 

アメリカがいう、

幕府は刻印を偽造して贋金を鋳造使用している
という発想には、逆について行けなかったのです。

 

最近の中学校の歴史教科書にこの

交換比率が載るようになりました。

教師(先生)が中学生にもわかりやすく考えさせてほしいと

切に願います。

                   
しかし、ハリスサイドの高圧的恫喝外交に押し切られ、
大老井伊直弼、老中間部詮勝らによって

 

水野は解任され、
その壮絶な努力も報われず。1868年病死しています。

このあと日本はどうなるか、

それを考えると
水野筑後上忠德の憤りと無念で眠れなかったでしょう。

 

命を縮めたと考えるしかありません。

憤死だと記録されています。
59歳でした。
 

こういう江戸時代で起こったことが

現在の日本の至る所で起こっている

そんな状況ではないでしょうか。

 

いつか詳しく書きますが、

80年前の先の戦争にも

似た状況が見られます。

 

企業の不正は、どこに最終的に責任があるか。

政党の事務的な不祥事は、事務だけの責任なのか。

言わなくても皆わかるはずです。

 

「信用できる政府」によって

日本の経済(通貨)が支えられていることを

忘れないでほしいものです。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

次回、もう少し詳しく述べていきます。

 

 

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