朱子学者だった新井白石

 

今日は、2011(平成23)年3月11日 東日本大震災が起こった日です。
1995(平成7)年1月17日の阪神淡路大震災(兵庫県・大阪府など)
今年2024(令和6)年1月1日能登半島地震(石川県など)
と10年~20年おきに大きな地震に見舞われてきました。

この間、コロナパンデミックもありました。
パンデミックは収まったといっていいと思いますが
収束したとまではいきません。

いまだ東北の被災地は復興しつつも
原発の処理水に対するチャイナの対応を見るだけでも
完全に日常を取り戻したとはいえません。

能登の方たちの復旧すらまだ十分ではないようです。

実は昨日3月10日は東京空襲で
無差別爆撃により10万人もの命が失われた日でした。

先の大戦で廃墟となった日本も復興させてきました。

世界的に見ても最近では
2023年2月6日にはトルコでも大地震があり、
世界情勢も不安定です。

今私たちはこうした時代に生きているわけです。
 

一つだけいえることは、歴史的に見ても日本人は
こうした困難を励まし合い、助け合い、乗り切ってきた民族だ
ということです。

高齢化して何もできないという方もおられるでしょうが、
祈ることはできます。

重機や人の手によるなど物理的な力だけではなく、
見えない力を発揮することこそ

特に日本人に与えられた大きな力であった
はずなのです。

 

悪政を正した?「正徳の治」

朱子学の罠にはまった?新井白石

 

  悪政を正した「正徳の治」

 

江戸時代後半も徐々に
自然の容赦ない災害や
世界情勢に翻弄される時代になって行きます。

新井白石が政治の指揮を執り始めた頃は
まだ元禄時代(1688~1704)であって、
  尾形光琳(1658~1716)
  菱川師宣(1618~1694)
  井原西鶴(1642~1693)
 松尾芭蕉(1644~1694)
 近松門左衛門(1653年~1725)
  など、そうそうたる文化人が顔を揃えます。

見返り美人図 菱川師宣

 

「天下の台所」である大坂の経済発展をもとに
上方(大坂・京都)文化が花開きました。
大坂、大阪ではなくこの当時は大坂、
関西ではなくて上方といっていたようです。

ちなみに当時皇居があったのが、上方で
現在もJRの上りは東京へ、下りは東京から
の方向を示すといわれています。

その大坂に大名の米を換金する蔵屋敷があり、
流通の拠点だったことは習った記憶のある方もいるだろう
と思います。

経済は、お金の流通、血の巡りのいいのが景気がいい
わけで、これが滞ると

人間の場合は、脳梗塞など大変なことになります。

経済も同じで不況となります。

徳川綱吉は、確かにお犬様の保護や寺院建築など
莫大な幕府予算を使い、財政難となっていました。
 
これらを正すため貨幣改鋳、長崎貿易の縮小
など財政再建を行ったのが新井白石でした。

バブル崩壊後の財政再建を行った、
経済で浮かれていないでまず国家の基礎は
財政再建だということになります。

最近売れているという森永卓郎さんの本を
思い出します。

 

 

そのほか、
や朝鮮通信使の待遇簡素化をはじめ、
武家諸法度改訂、儀式典礼の整備などを行ないました。

また、密航したイタリア人宣教師

シドッチを審問し、「西洋紀聞」をまとめました。


こうしたことで新井白石の政治は、
これまでの悪政を正したとされてきました。
この白石の政治が「正徳の治(1709~1716)」です。
 

新井白石 ウィキペディアより

 

  朱子学の罠にはまった?新井白石

もう一つ白石が行った外交事項があります。
それは、朝鮮通信使に用いていた宛名を
「日本国大君」から「日本国王」に改めさせました。

これは、何を意味するか、家康はあえて
「大君」を用いていたはずです。

それは、中華思想では、国王は皇帝の臣下となるからです。
豊臣秀吉の時代に秀吉を「国王」と明が認めたことに
激怒したことを知っているわけです。

だからといってあえて他国と摩擦を起こすことは
得策でないことは至極当然で、
「大君」は、その儒教的思想の枠には入らない
絶妙な「地位」だったはずです。

結論からいえば、白石が行ったことは、
幕府の格下げとなってしまったということです。

自ら尊王攘夷思想を招き入れて、
幕府滅亡の入り口をつくってしまったともいわれています。

ただ、新井白石は徳川綱吉の

「生類憐れみの令」は廃止したものの、
老人や子どもを捨てることを禁じるような
人間に対する法はそのまま継続させました。

無意味に生命を奪ってはならないという徳川綱吉の思想は、
現代に引き継がれています。
 
そして、近松門左衛門が亡くなったのが、
新井白石と同じ1725年。

元禄文化で名を馳せた多くの芸術家たちは、
なぜか、みごとに元禄時代に生きていることは

前述した生没年を参照にすると

おわかりのことと思います。


つまり、「正徳の治」といわれた時代に活躍した
今に名を残す文化人は、見当たりません。

悪政を正したはずの新井白石、

その歴史的評価はどうなんでしょうか。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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