アメリカ独立の本当のねらい……

 

アメリカの大統領選挙が今年2024年11月に行われます。
共和党と民主党の候補者選びが最終段階を迎えています。
トランプさんとバイデンさんの選挙になりそうです。


他国の大統領選挙ですが、

日本には大きな影響があります。
かつては、アメリカがくしゃみをすれば
日本は風邪を引くといわれました。

今はあまり聞かなくなりましたが、
果たして、その影響は小さいわけではありません。

アメリカは「自由と民主主義の国」の象徴

のようにいわれてきました。
 

しかし、本当にそうなのかは、
アメリカの歴史をひもといてから、再考してみてください。

日本には、古来制度としての奴隷はなく
聖徳太子が「十七条の憲法(憲法十七条)」の中で
「民主主義」ということばはありませんが、
むしろ、「民主主義」の思想の発祥ではないかという
考え方を示しています。

 

ちなみに「民主主義」は明治になってできた
英語を和訳した「和製漢語」のようです。

時代は、欧米において経済的に豊かになってきた
市民階級、あるいはブルジョアジー、
その職業は商工業者、いわば経営者や社長さんたち
が国の主役となってものをいう時代になっていました。

その力は、絶対王政を市民革命によって倒し、
市民が主権を持つ国民国家となります。
いわゆる「近代国家」の誕生です。
その力は、専業革命となりやがて

その流れに乗れなかった、アジアやアフリカの国々は
欧米の植民地となって行くわけです。

イギリスとアメリカ植民地の関係の悪化

私に自由を。そうでなければ死を!

 

  イギリスとアメリカ植民地の関係の悪化


その流れで最も先を進んでいたのが
イギリスイギリス とフランスフランスでした。

そしてそのイギリスとフランスの争いは
イギリスの勝利に終わりました。

1763年、イギリスは、
フランスからミシシッピ州までの土地を獲得しました。
といってそれはフランスのものはなく、
その土地で暮らしていた、

先住民の承諾を得たものではありません。
 
フレンチ・インディアン戦争というのは、
イギリスのやり方に反発した
先住民の諸部族がフランス側として戦ったためだ
といわれますが、

実際には、英国側に立って戦った部族もあり、
先住民たちは、ここでも分断を強いられ、
結果として英仏どちら側の先住民にも
益することはありませんでした。

部族単位で生きてきた民族が、
国家をもつという歴史は、それまでありませんでした。
国家という概念さえないでしょう。
モンゴル民族がその例外であったのは、
これまでブログで述べてきた
とおりです。
 
イギリスの移住者たちの人口も増え、
土地を求めて西へ移動し始めると、
先住民は激しく抵抗するようになります。

イギリス本国は、
アパラチア山脈以西の土地を先住民の保留地とするため、
イギリスから移住した植民地人の立ち入りを
禁じるようになりました。



また、イギリスはフランスとの戦争のための戦費を要して
財政難となっていきます。

フランスも同じ状況であり、
やがてこれがフランス革命へとつながっていきます。

イギリスはそのツケを
アメリカ植民地から様々な課税として徴収するようになります。

イギリス本国がアメリカ植民地(アメリカ移住者)の
先住民とのトラブルを避ける目的もあったということです。

いずれ、
1733年 糖蜜法
1764年 砂糖法(砂糖法修正)輸入税と密貿易処罰厳格化
1765年 印紙法 新聞・書籍などの発行に印紙を貼らせる
        関税以外の新たな法律

とイギリスは、アメリカ植民地に課税をしていきます。
 
 

  私に自由を。そうでなければ死を!

 

アメリカ初代大統領となるワシントンは、
父の大切な桜の木を切って正直に自分だといい、
父はその勇気を称えたという偉人伝で有名ですが、
 

フレンチ・インディアン戦争で指揮官として従軍しており、
同時に大土地所有者で、

奴隷所有者という面ももっていました。

ちなみに、桜の木の話は作り話だというのが
最近の主流だそうです。

その背景には、独立を果たしたような大統領は
人格的にりっぱでなければならないという
物語が必要だったとか。
真相はわかりません。

そのワシントンが
タバコ栽培で利益を上げてきたものの、
土地が痛むことで収入は減少気味で、
そこで目をつけたのが土地投機でした。

その土地投機を阻害したイギリスに
しだいに反目し始めます。

それはワシントンだけではありませんでした。
こうして、「代表なければ、課税なし」
という言葉が生まれます。

つまり、アメリカ植民地からは、
議会には代表者を送ることができない。
 

代表者が議会にいない以上、
イギリス本国は、

アメリカ植民地に課税する権利はない、
ということです。

そして  イギリス政府は
1773年 茶法で、

     植民地への茶の直送と独占販売を

     東インド会社に付与します。
茶
その年、12月16日に有名なボストン茶会事件が起きます。
この茶法に反発した反イギリスの急進派というべき人たちが
ボストン港で東インド会社の茶を海に投げ捨てます。

本国と和解の道を探ろうとする保守派に対し、
パトリック・ヘンリは、
「(イギリス本国のいいなりになるより)神よ、

 私に自由を。そうでなければ死を」
 

といい、

自由を得るためには戦いしかないことを訴えました。
 
イギリスに敗れたフランスはこれを支援しました。
アメリカ人が紅茶を飲まなくなったのはこの時から
ともいわれるそうですが、

ホントかどうかはわかりません。

私が
アメリカ人に紅茶は飲まないのかと訊ねると
そんなことはないようです。
 

コーヒー派それとも紅茶派?

とよせばいいのに訊ねてしまいます。

だいたい「 both(両方)」って答えます。

1カ月後の1775年4月19日、
マサチューセッツで独立戦争が始まります。
そして、1776年7月4日、独立宣言を公布し、
決意のほどを示しました。

この独立戦争には、黒人奴隷も参加していましたが、
「奴隷貿易の禁止」は抹消され、
「生命・自由・幸福の追求」という人権が明記されながら、
先住民の権利は無視されました。
 
1789年、アメリカ合衆国が誕生しました。
その年、フランス革命がおき、
日本では、松平定信が、寛政の改革を行っている年です。

独立した13州は、「ステイト」または「コモンウェルス」
を名乗っています。

それぞれ「財産」「共有財産」という意味があるそうです。
 

それまで王様の財産(ステイト)であったものが、
これからは住んでいる国民の財産(コモンウェルス)
という宣言がアメリカ合衆国の独立宣言であり、
 

それが国民国家(ネイションステイト)の始まりだと、
宮脇淳子氏が述べられています
(「日本人が教えたい 新しい世界史(徳間書店)」)。
 

 アメリカ東部13州


今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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