フロンティア最前線アメリカ西部

 

アメリカ史を追い、
アメリカ人という陽気でフランクな気質を知ると
あの戦争は防ぐことができたのではないか
という夢にとらわれます。

 

終わったことだ、ではなくどうしてあの戦争になったか

しっかり検証は必要なはずです。

二度と起こさないように。

あのF.ルーズベルト政権とアメリカ民衆は違ったのではないか
と思うのです。
もちろん、戦争時アメリカは日本憎悪に満ちていました。
しかし、日本も同じです。

戦後GHQが悪魔のような日本人を想像して

武器を持って日本に来たが、
午後には、買い物に出かけていたという記録があります。

昭和に入っても、「ジャズ」「シネマ」があり、
アメリカ映画を見ていた記憶があると半藤一利氏は述べています。

 

いずれ、歴史を知ることはお互いの最悪の事態を防ぐ
一つの大きな「武器」になるように想いまず

 

 

先住民は土地を奪われていった

イギリスとアメリカ植民地と先住民

 

  先住民は土地を奪われていった


イギリスからアメリカへ渡った人々は、
先住民と条約を結んで土地を獲得し、
広げていきました。

とは、アメリカ史の本にはあります。
しかし、
先住民たちは文字を知らないわけです。
約束はあったと思いますが、契約などというのはない。
日本人でも感覚的にわかると思います。

今でこそ、アメリカ社会のように契約は当たり前になりましたが、
 

それでも日本では、

特に親しくなったとき、約束はするが紙に署名しろとなると
オレを信用しないのか、あるいは疑うのか
という気持にはなると思います。

また、
先住民には、

所有権という概念がありませんでした。

風や水や食べ物と同じように、
土地は神が与えてくれた贈り物なのです。
お客ももてなすのが、彼らの文化だったかも知れません。
 

先住民に約束はあったでしょうが、
欺すという考え方はあったのでしょうか。

移住者たちは、

といっても勝手に乗り込んできたにすぎないのですが、
先住民に所有権と契約の概念を持ちだし、
 

×(バツ)といった簡単なサインで契約を成立させ、
土地を奪っていったということです。

回国後も欧米人は
日本に来た時も同じように振る舞ったはずです。
 
先住民と移住者たちは交易も行いました。
交易は、文化の交流でもあります。
 

移住者たちがもたらした、
織物類や鉄瓶、ナイフ、銃などは、
先住民の生活を一変させました。

先住民たちは、毛皮や土地と交換したといいます。

中でも移住者たちがもたらしたウィスキーは、
先住民たちの尊厳を奪いました。

いってみれば、アルコール文化の免疫のないところに
もたらされるアルコール類は、まさに麻薬だったのです。
ウィスキー欲しさに土地を売ったということです。
 
それだけではありません。
最初に移住したスペインのフランシスコ会らは、
カトリックに改宗させた上で、

奴隷としたとの記録があります。

次にやってきたオランダ人、イギリス人も同様でした。
しかし、収奪が激しくなるにつれ、
先住民は激しく抵抗するようになっていきます。

 

  イギリスとアメリカ植民地と先住民

 

ケビン・コスナーが監督・主演を務めた映画
「ダンズ・ウィズウルブス」には、
先住民の様子がくまなく描かれています。

 

お薦めです。

歴史は変えることはできませんが、
こうした映画からも
アメリカは、自浄作用のある国であることを信じたいのです。
  
アメリカに渡った移住者は、
イギリスだけではありません。

1754年、イギリスがアパラチア山脈西、
アメリカ五大湖南のオハイオ州に砦を築こうとした時、
フランス軍がこれを襲いました。

アパラチア山脈 ウィキペディアより

フランスも現カナダのセントローレンス川河口の
ケベック市を足場にミシシッピ州上流付近あたりまで
要塞を築いていたのです。

これをきっかけに、
英仏両国が激突するフレンチ・インディアン戦争が
9年も続きます。

同じ頃の1756年、ヨーロッパでも、
プロシアとオーストリアの領土問題に、
前者にはイギリスが、後者にはフランスが支援して7年戦争が、

さらには1757年には、インドにおいて、
英仏両国の東インド会社による
プラッシーの戦いが起こりました。

いずれも、英仏の植民地支配を巡る戦いです。
イギリスの勝利に終わりました。

1763年、イギリスは、
フランスからミシシッピ州までの土地を獲得しました。
それは、当然のごとく、

先住民の承諾を得たものではありません。
 
フレンチ・インディアン戦争というのは、
先住民の諸部族がフランス側として戦ったためだ
といわれますが、

実際には、英国側に立って戦った部族もあり、
先住民たちは、ここでも分断を強いられ、
 

結果として英仏どちら側の先住民にも
益することはありませんでした。

我々昭和戦後生まれ世代は、
アメリカの西部劇を見て
代表的なジョン・ウェインのカーボウイ姿を見て
カッコいいと思い。
 

幌馬車で移動する白人に襲いかかる
先住民(インディアン)を悪者としてしか見ていませんでした。

まさにそれこそ、
私たちの世代にすり込まれたアメリカは正義だ
という証です。

同時に「ラットパトロール」という題名だったと思いますが、
アメリカ兵数名ががジープで砂漠のドイツ軍を
やっつけるテレビドラマに夢中でした。

いかにもドイツ軍の顔はワルという印象で
それだけで、アメリカはカッコいい、敵はワル
そういうイメージが残りました。

いつの頃からか、アメリカの西部劇は
一切見ることがなくなりました。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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