徳川綱吉の本当の治世とは その1  

 

今日は、ひな祭りで桃の節句です。

本当は陰暦ですので、たぶん一ヶ月ほど

後ろにずれます。


節句は季節の節目で、5つあります。
 

陰暦正月七日「人日(じんじつ)」 七草の節句
三月三日「上巳(じょうし)」桃の節句
五月五日「端午(たんご)」菖蒲の節句
七月七日「七夕(しちせき)」星祭り
九月九日「重陽(ちょうよう)」菊の節句

節句は季節の変わり目で、体の変調を感じやすい時期。
ですから邪気を払うという節目です。

ひな祭りは、平安時代からあったようですが、
室町時代に三月三日となり、
江戸時代になってひな人形でお祝いするのが一般的になった
ようです

恐らく、徳川綱吉の元禄文化の頃には
かなり定着していたようです。

 

みんながよく知っている徳川綱吉の時代

戦国時代が終わって80年を経たのが徳川綱吉の時代

 

  みんながよく知っている徳川綱吉の時代


徳川綱吉といえば「お犬様」で有名です。
自ら戌年で低身長で見るからに華奢であった
といわれています。

儒学を重んじ湯島に聖堂(孔子廟)、
のち昌平坂学問所となる学問所までつくりました。

当然、忠孝を大切にして母が僧からいわれた
「世継ぎが生まれないのは、前世で動物を殺したからだ」
ということが、生類憐れみの令につながったといわれ、
大変評判の悪い将軍です。

お犬様のために
野良犬を保護する広大な施設までつくるために浪費し、
財政まで圧迫させたともいわれます。

財政悪化を乗り切るため、質の悪い貨幣を大量に改鋳して
経済を混乱させたともいわれてきました。

一方、
五代将軍徳川綱吉の治世(1680~1709)は、
元禄年間(1688~1704)と重なります。

徳川綱吉

 

 

授業でいうと

武断政治から文治政治へ

なんて習ったことを覚えている方もいるかもしれません。

 

将軍も武士というより政治家、

国家経営者というイメージです。

この時代、上方文化を中心とする経済活動が活発化し、
浄瑠璃の近松門左衛門、
浮世草子の井原西鶴、
俳諧の松尾芭蕉などの
文芸、尾形光琳や菱川師宣など絵師が世に出ました。

その背景には、商品作物の生産発展と
それを基にした都市町人たちの豊かで
活気溢れる経済活動があります。

当時日本は世界有数の金産出国でしたが、
井沢元彦氏によると寛永年間(1643)頃には、
当時の技術で掘り出せる全ての金を掘り尽くしていたそうです。
(「逆説の日本史14(小学館)」)

 

さらに貿易のために金が途方もなく流出しました。
経済は拡大し、
いわゆる市場マネーの供給量が追いつかなくなっていました。
 
そこで荻原重秀は、
新しい金銀地銀がないのでその含有量を下げることで
マネー供給量を増加させようとしました。
 

  戦国時代が終わって80年を経たのが徳川綱吉の時代

 

では、荻原重秀の政策は、最悪だった

のでしょうか。


現在では必ずしも「悪」とはいえないといいます。
というより、当然そうすべきだという考えもあります。

私の高校生当時は、「悪貨は良貨を駆逐する」と
最悪の改鋳といわれました。

特に、徳川綱吉治世後、

6代徳川家宣を支えた新井白石は、
これを酷評しています。

しかし、貨幣は「信用通貨」でもあります。
現に私たち皆は、紙のお金(紙幣)を使っているわけです。 
 
また、綱吉自身が亡くなるまで約20年にわたり、
百回以上も内容が改正されながら、
御触書として出されているのが、
それらを総称した「生類憐れみの令」です。

 

学校で習うと、「生類憐れみの令」

として一挙に出されたと言う記憶しかない

ように思います。
 
いずれ、犬を虐殺した罪で極刑になったり、
鳥を殺したことで切腹させられたりする
記録があるということです。

中には、蚊を潰して流刑になるなど、
そうした刑に処せられた人々のうらみは

残るだろうと思います。


同時代に生きた徳川光圀は、
動物の毛皮を贈って皮肉ったといわれます。

こうしたことから、

暗愚な将軍というのが定番となってきました。
  
天下泰平、戦国時代は遠い過去のように思える時代です。

とはいうものの、

ちょうど今から80年くらい前というと

第二次世界大戦が終わる頃です。

 

すでに昭和のにほいは、なくなっているか

といえば、私も昭和生まれですし、

老齢になったとはいえ、まだまだ存命です。

 

そう考えると、この時代は、

家康の時代から80年もたっていたものの、
戦国時代の命が軽んじられる風潮が

依然として残っていたとしてもふしぎではありません。

 

さらに考えると、

時間の流れは現代より遙かに緩やかです。

 

典型的なのは、「忠臣蔵」でした。

消えかかっていた武士の魂に火がついた瞬間です。

 

徳川綱吉はこれに激怒しました。

 

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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