歴史を動かすのは人間とは限らない

 

学校で歴史を習っていると
歴史というのは、基本的に政治史で
その中にちらちらと社会(生活)や文化などを
垣間見ることができます。

実際には、疫病や地震や干害などの天災、飢饉
場合によっては、歴史を握るキーパーソンの健康状態
なども、大きく歴史に関わったり、背景にあったりします。

そして、疫病や干害などの天災、飢饉などが
繰り返し起こりますので、
そのたびに歴史は大きく動くことはまちがいありません。

このブログでは、そうした一般的に学校ではたぶん
とりあげられないような歴史にも触れながら
進めていきたいと思っています。
 

戦争の原因は宗教だったヨーロッパ

ウエストファリア条約は初めての国際法?

 

  戦争の原因は宗教だったヨーロッパ


17世紀ヨーロッパは、疫病が蔓延したり、
キリスト教新旧両派が互いに魔女狩りを行ったりするなど
不安定な時代でした。
それが宗教と国家が絡んだ戦争を誘発しました。

先の見えない時代と、今もいわれますが、
多くの人には先が見えないのが普通だと思います。

ただ、歴史上の為政者たちは、こうしようと思うので
そういう人たちには見えるだろうと思います。

宗教改革以後、
プロテスタントを全く認めなかったカトリックは、
1555年にアウグスブルグの和議でその存在を認めていましたが、

新旧両宗派の対立は収まらず、
国家を巻き込んでヨーロッパ中に広がりました。
それが、三十年戦争です。

三十年戦争といいますから、30年続いたということになります。
百年戦争というのもあります。
ただ、常に戦闘を繰り返していたというより
終結しなかったという意味で続いたことになります。

なぜヨーロッパ中に広がるかというと、
当時のヨーロッパ王家が婚姻関係で

他国とほとんど親戚関係であったことや
そのために他国内に土地(領地)を持っていたことによります。

国土というのは、国王らの私有地ということで、
軍隊は王が私費で雇う傭兵でした。
 
そもそも三十年戦争は、
ドイツ国内に領土を持つスペインハプスブルク家が
プロテスタントを弾圧したことに始まります。
いってみれば、宗教戦争です。

プロテンスタント国家とカトリック国家が二手に分かれて争い、
主戦場となったドイツでは2/3の国土が焦土化し、
人口の1/4が戦死したといわれます。
イギリス
日本では、まずこんなことはありません。
典型的な豊臣秀吉は、
いかに犠牲者を少なくして勝利するか
ということには、極めて優れた能力を発揮しました。

この三十年戦争、
最後は、傍観していたカトリックのフランスが
プロテスタント側について勝利して終わります。
疲れ果てて終わったという感じです。

日本でも疲れ果てて終わったという戦、

それでも、応仁の乱が長くて11年。
 

ただ、戦国時代というのはあります。
 

  ウエストファリア条約は初めての国際法?

 

1648年ウェストファリア条約が結ばれます。
この国際条約のもつ意味は極めて大きいものです。

形式的だったカルヴァン派の承認、
オランダとスイスの正式な独立承認、
領民に領主と異なる宗教の信仰許可、
などが決まりました。
 
すでに、ユグノー戦争の犠牲の上に
宗教対立をある程度克服に努めていたフランスは、
宗教と離れて「国益」に立って参戦していました。

つまり、独立した主権国家の誕生といってもよいのです
 
同じ頃オランダは、
イギリスとアジアの覇権を争っていました。

インドネシアのモルッカ諸島は、
香辛料諸島ともいわれるナツメグの産地でした。

ポルトガル、次にスペインが、
そこにオランダが割り込んで、
スペイン、ポルトガル両国を駆逐しました。

さらにイギリスが介入してきました。
本国では英蘭両国共同経営で話がまとまり、
英国商館も現地に築かれました。

そんな折、1623年、
イギリス人がオランダ商館を襲う容疑で拘束され、
イギリス人10人と日本人傭兵9人らが処刑された
アンボイナ事件が起こりました。

結果として、オランダはイギリス勢力を追い出します。

日本では、スペイン、ポルトガル、カトリック両国に対する
圧力が激しくなっている頃です。

この時期、イギリスも交易を求めて
日本に来ていましたが、撤退します。

ちなみに、琉球王国(沖縄)も

この香辛料貿易に参入しており、
まさに日本も大航海時代であったことがわかります。
ポルトガル
これ以後イギリスは、
インド方面中心にアジアとの取引をすることになります。
 
日本で、信長が比叡山延暦寺を焼き討ち、
 

秀吉が種子島と結びついて

最強の鉄砲集団となった根来寺を焼き討ち、
高野山金剛峯寺を武装解除、
 

江戸幕府が宗門改・寺請制度などで
完全に宗教を国家統制下(政教分離)を進め、
平和の兆しが見えてきた頃、
 

ヨーロッパでは、
国と宗教が絡んだ壮絶な争いが続いていたわけです。
 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

   

 

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