宗教と信仰とカルトなにがちがうの?

昨日のブログでも触れましたが、
中学校で最近は、歴史でも地理でも宗教を扱います。

しかし、もともと宗教を扱った内容も少なく、
その宗教について教えること自体が重視されてこなかった
と思います。

一時、宗教が歴史教科書から消えた時期がありました。
確かにトピックス的扱いはありましたが、
当然、ギリシャ・ローマ時代も消え、
ヨーロッパ中世もルネサンスもなく
 

突然、南蛮人が日本にやってくるという目次
になっています。

 

結局、ギリシャ・ローマ時代、ルネサンスと

教科書に復活しました。

 

 

信仰の自由という不自由

戦後日本人は何を信じてきたか

 

  信教の自由という不自由


憲法では、信教の自由は認めつつ、
したがって公教育では特定の宗教にかかわるいっさいを
取り扱ってはならないという
政教分離、教育の中立性が基本という姿勢がありました。

 

突然ですが、

日本国憲法
第20条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2      何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3      国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない

 

教育基本法の第9条

宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教活動をしてはならない。」

要するに、宗教の自由は尊重するから、
公教育である公立学校では、
特定の宗教に基づく教育をすることは許されない
と言っているわけです。

それはそのとおりだと誰もが思うはずです。

今は若干変わってきましたが、

例えば、部活で神社に必勝祈願にいく
お坊さんにきていただいて座禅をする

こんなことをしようとしても
ダメだといわれるわけです。

正直、バカバカしいと思いました。

恐らく、教育基本法が改定されて

若干まともになったと思います。

結局「宗教はアヘンだ」といったマルクスと同じ考え方が
無意識に芽生えていきます。

我が家には神棚と仏壇があり、
父が毎朝おつとめ(礼拝)をしていました。

それは今も私の習慣となっています。
しかし、大方の家庭では仏壇など
ないのが普通です。

日本人は、戦前「家」を大切にし、
それは祖先信仰でもありました。

早い話がGHQは、日本人の民族としての基盤を
破壊したわけです。

根底には天皇を中心とした
日本民族の結束に畏怖したことがあります。

これは最近の中学校の教科書にも載るようになったと
何度も触れていますが、

「GHQの占領政策の基本方針は、日本が再び連合国の脅威とならないよう、徹底的に非軍事化することでした」
 『歴史的分野』東京書籍 平成23年検定済

非軍事化とは、武力以上に戦意を失わせること
つまり、根底から日本人を骨抜きにすることです。
日本人の同胞への愛情と絆の深さを怖れたわけです。

 

小さな国の日本がアメリカと4年以上

激闘したわけです。
誤解しないでください。

戦争を肯定するつもりはありません。


戦後3世代目にして、その効果は顕著です。
ここ数日の毎日の新聞の見出しを見るだけで
国家の経済から家庭まで崩れてきているのがわかります。
 

 

  戦後日本人は何を信じてきたか

 

宗教に関していえば、
宗教的免疫がなくなっている人が激増している
ということではないでしょうか。

どういうことかというと
昨日のブログでも触れましたが、

生徒に宗教を信じているかと質問すると
ほとんどの生徒は信じていない と答えます。

しかし、初詣に行くし、占いは大好きなのです。
我々人間から信仰心がなくなることはありません。

信仰心とは、信じる心でそれは人の心の支えとなります。
それは、人知を越えたものを怖れ、謙虚になること
でもあります。

そして、宗教とは、カルトのことだ
と勘違いしている場合があります。
 

それは、宗教と信仰とカルトの区別が
ついていないことでもあります。

カルトは、人の心を道具にカネが目的の
狂信的小集団といってよいでしょう。

不安や心配、悩み、ストレスがあれば、
そこに、こころの隙があり、
判断力は薄れていきます。

それを埋めてくれる存在を無条件に受け入れます。
宗教など関心がなかった人ほど

それは顕著になりがちだと思います。

アメリカこそ、信仰心の国であり、
大統領は、就任式では右手を掲げ

聖書を左手に誓います。
 

またアメリカでは

どんなに小さいスポーツ大会でも起立し、
右手を胸に国家を斉唱するそうです。

アメリカで聖書の次に売れている本が
『ザ・バック・オブ・バーチュー』
つまり、日本で禁止された「教育勅語」です。

西ドイツのアデナウアー首相は、
執務室に「教育勅語」を掲げていたといいます。

 

戦前の日本人は

家族を信じ

仲間を信じ

国家をも信じていたはずです。

信仰の自由が保障された
戦後日本人が信じられるものは

何だったのでしょうか。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 
 

 

 

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