宗教を人間社会から切り離すことはできない

世界三大宗教といえば、
キリスト教、イスラム教、仏教で信者数もこの順です。
世界五大宗教ともいうようで
ヒンズー教とユダヤ教が入ります。

ある調査によると日本人の場合は
仏教が約30%、神道が5%、キリスト教1%で
あとの60%余りは無宗教だそうです。

授業で歴史でも地理でも世界宗教を扱いますが、
生徒に何か宗教信じてるか、神様、仏様を信じてる?
と質問すると

ほとんどが信じていないといいます。

じゃあ、初詣にいく人とか、墓参りいく人と質問を変えると
今度はほとんどが行くとこたえます。

テレビや雑誌で占いを見る人と質問すると
これもけっこうな数は必ずいます。

日本人の場合は、
神道に仏教が合わさり、

祖先信仰、山岳信仰、怨霊信仰 などなど
 

生活に染みこみすぎて

無意識の場合が多いのではないでしょうか。

 

 

キリストの教えはどこにあるのか

神様絶対の時代に抵抗した人たち

 

  キリストの教えはどこにあるのか


確かに、マルクスは
「宗教はアヘンだ」といったされるのは有名です。

ソビエト時代に宗教はなくなったかに見えましたが、
ロシアになると、なくてはならない存在であった
ことが明らかになります。

人知を越えた力というのは、
自然や宇宙のことを考えれば、確かに存在します。
その力に畏敬の念を抱くことは
決して悪いことだとはいえないはずです。

そんなことを含めて
宗教は、人間の不安や恐れを和らげ、
その人の人生を豊かにしたり救ったりすることのできる
存在であるべきはずと考えるのですが。

しかし、そこに人間が介入すると
本来のそのねらいや意味がゆがむことがあります。
それもどこも同じです。

中世における日本の寺社やキリスト教会は、
神や仏を建前に好き勝手をしていた時代でした。
 
ヨーロッパでは、
その頂点にあったローマ教会がその典型的な存在でした。

キリストの教えは聖書にあり、
それは当時聖職者など知識階級しか使えなかった

ラテン語で書かれていました。

その解釈も教会関係者が独占しています。
聖書はラテン語でかかれ、
読めるのはほとんど聖職者に限られていました。

神は世界を創造した絶対神で

奇蹟を起こすことのできる存在です。

その神を建前に聖職者たちは
金や欲をほしいままにしていた時代があったわけです。

これは、洋の東西を問いません。

特に、十字軍の失敗により教会の財政が危機に陥ると、
お金を払うことで罪が軽減される
「贖宥状(免罪符)」を売りだしました。


免罪符を売る教会


この手の免罪符の類は、この時代に限らず
現代でもずっと常に存在します。


免罪符 これを購入するとあなたの罪は許される?
 

40年以上も前の私の話です。

仕事をどうするか悩んでいたとき
その時は一人暮らしでしたが、

無料の占いということで

ああそうですかと、手を差し出すと
私の運命が危機だといいます。

結局高~い印鑑を買うようにいわれ、
「無料」ほど高いことはないことに気づいた私は
 

いらない。運命は自分が決める
 

と断ったことがありました。

そうでない人たちがたくさんいるわけです。
ちなみに、その年にしっかり仕事が決まりました。
 

 

  神様絶対の時代に抵抗した人たち

 

今から500年以上も前に

神様絶対の時代に、それにものをいうというのは

それは想像を絶することだと思います。

 

14世紀にウィクリフが聖書を英訳し
「パンがキリストの肉で、葡萄酒が血などはどこにも書いていない」
と説を述べました。

その後15世紀に影響を受けたヤン・フスが聖書を重視し
「神の声を聞くのになぜ教会を通さなくてはならないか」と述べ、
火あぶりの刑にされました。
 

教会は自分たちの都合が悪くなると
神を冒涜する「(男も実は)魔女」として処刑しました。

疑われた段階で有罪です。
英仏の100年戦争(1339~1453)で
神の声を聞いたとフランス軍を導いたジャンヌ・ダルクも、
イギリスに捕虜になると、

フランスは助けることができるにもかかわらず、
魔女裁判で処刑されるのを見て見ぬふりをしたといわれます。

調べてみると、教会は、
ここにはとても書けないような
とんでもないことをまさに好き勝手にやっていることがわかりました。

 そして、1517年マルチン・ルターが、贖宥状を批判し、
ヴィッテンベルクの教会の門に
「九十五カ条の論題」として打ちつけて教会に問います。

教会に「九十五カか条の論題」を打ち付けるルター 聖書と歴史の学習館から

 

教会はルターを破門しましたが、
その破門状を公然と焼き捨てて決意を表明、
 

信仰は教会ではなく「聖書」にあると
当時発明された「活版印刷術」で100万部も印刷され、
その考えは広まっていきました。

聖書もドイツ語訳が出ました。
その後、フランスのカルヴァンは、
「予定説」として
「神は予め救われるものとそうでないものを決めている。
だから人間は平等につくられていない」としました。

さらに「神のために労働し、富裕になることはよいことだ」
としています。

 

この考え方が、「資本主義」を生み出した

として有名です。

 

ちなみに、有色人種、日本人も含めて神に救われるものには
選ばれていないということでした。

ルターらはローマ教会の激しい弾圧にも抵抗し続けたので、
プロテンスタント(新教)と呼ばれるようになり、
 

これまでのローマ教会(カトリック=旧教)と区別され、
ヨーロッパ内で激しく対立して

血みどろの宗教戦争へと発展してきます。

ヨーロッパ内だけにとどまらず、
その対立はルネサンスと大航海時代の機運と重なり、
世界を巻き込んでいきます。

そして、ここに
「パクス・モンゴリカ」でヨーロッパ人の知ることとなった
「東方見聞録」がジパングへの興味を促します。
 

宗教改革は、

それまでのキリスト教の考え方だけではなく、

ルネサンスとともに

ものの見方や考え方まで変えていきます。

 

その影響は、

新旧教の対立と海外への機運となって表れます。     │



今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 
 

 

 

フォローしてね…

↓こちらもポチッとよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

↓こちらもポチッとよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村