「自分の生まれる前のことについて無知でいることは、ずっと子どものままでいることだ」キケロ  紀元前106年~紀元前43年)  共和制ローマ政治家 弁護士 哲学者


すでに、今から2000年以上前に、
こう言い放ったのが共和制ローマ時代に生きたキケロです。

生物は、生きて子孫を残して死んでいきます。
生物の中で人間という種だけが、
文化という産物をもち歴史を残していきます。

何度か触れていますが
「なんで歴史を勉強するの」
「歴史を勉強して意味あるの」
という問いは、生徒からたびたび発せられてきました。
 

その根底にはめんどくせえ、やりたくない
といった気持があるのがほとんどです。

私はこの問いに、いつも正面から挑んできました。
いろいろな答えがありますが、
キケロのこたえもその一つだと思います。

ただ、キケロがいったことは
中学生くらいにはよくわからないと思います。
 

逆に大人になると意味が飲み込める人は多くなります。
歴史ってこんなにおもしろいんだと思う人も多くなります。

それは、やってみて(生きてみて)実感するからです。
逆に経験のない子供に

歴史のおもしろさや大切を実感させるのは
簡単ではありません。

自分の頭の中にあったのは
今のあなたは
過去の歴史があって存在していること
過去の歴史とあなたは直結していること
だから過去を知ることは未来を見ることになる

それは誰もが自分の過去の失敗を克服する
ように努めると同じことです。

ルネサンスというのは、よく見たら
過去の自分たちのことだったということにほかなりません。

そこでヨーロッパ人の眠っていたDNAに
スイッチが入った、そういう時代です。


 

ルネサンスは「ギリシャ・ローマ時代の学びなおし」?

ルネサンスは意識革命というイノベーション

 

 

 

  ルネサンスは「ギリシャ・ローマ時代の学びなおし」?


ルネサンスというと、
「ギリシャ・ローマ時代の学び直し」というのが、
最近の教科書の記述です。

なるほど、とはその時は思うのですが、
どういうことなのか、
実際にはよくわからない

というのが本当のところではないでしょうか。

 

これを称して「暗記」といいます。

 

テストでよく見る
「ギリシャ・ローマ時代の学び直し」とは何か

といったつまらない問題の類で、

みんな歴史が嫌いになります。


どうして、学び直さなければならないのか、
それがどういう意味をもつのか、
あるいはそれがどういう影響をもつのか、
は説明されていません。

 

そういうことを調べたり、考えたりして

自分なりのこたえを出すと

その知識は頭に残ります。

 

頭なのか、心なのかはわかりませんが、

少なくとも、頭に記憶したものは忘れます。

身体に刻み込まれた記憶は消えません。

 

わかりやすいのは水泳と自転車です。

感動したことも記憶ではありませんが

あとで生きる勇気になったり、

困難でへこたれなかったりと

確実に財産となります。

 

ルネサンスが起こった原因の一つは

十字軍です。

 

十字軍の何度かの派遣のうち

その動機は、聖地奪還から

欲望にかわっていった

そうした理由であったことは

まちがいありません。



 

  ルネサンスは意識革命というイノベーション

 

いきなりですが、

次のⅠ~Ⅲの三つの美術品を見てください。
                    

どれが最も古い時代の作品かおわかりでしょうか。

本当は、どれも彫刻で比較すればいいのですが、

作品名などを知っていれば別として
 

中学生に質問するとⅢという答えが返ってきます。
理由は「下手だから」です。
どうしてへただというのでしょうか。

まず表情がないわけです。
次にⅠとⅡを年代順に並べるとどうなるか、
 

専門家や作品を知らない限り、
理由を述べて答えることはできないと思います。
 
答えをいえば、Ⅰが「ヘルメス(ギリシャ)」
Ⅱが「バッカス(イタリア ルネサンス期)」、ミケランジェロの作品です。
Ⅲが中世ヨーロッパの作品です。

では、
ルネサンス期のレオナルド・ダ・ビンチの作品

「聖アンナと聖母子像(Ⅳ)を見てみます。

 

レオナルドダビンチ

 

どこかで見たことはある作品だと思います。

 

どうでしょう。中世のⅢの宗教画とは、

まるで違います。

表情も豊かで女性らしい、
そして母性がよく表現されています。
私のような美術の素人でもその違いに目を見張ります。
  
そこで考えるのではないでしょうか。
どうして同じ人間なのにこんなに描き方が違うのか。

しかも、時代とともに技術が向上するのではなく、
何か後退したような感じがあるように思えます。

しかし、それは、見方や感情が抑えられていた、
と解すべきようです。


聖母マリアとイエス・キリストを描いていますが、
キリスト教の三位一体説、
 

つまり、神とキリストと精霊は一体で神であるということから、
マリアもキリストも人間のように
表情豊かには描くことができないのだそうです。

 

中世に、ギリシャやルネサンス期のような

彫刻がないのも時代背景にあります。

 

中世は、裸体そのものが神の教えに反する

というので、沐浴も禁じられていた時代です。

裸体の彫刻など許されないわけです。

 

イスラム教は、神の姿を描くこと自体

神への冒涜でした。

これは、キリスト教のギリシャ正教も同じです。

 

しかし、ローマカトリック教会は

ギリシャ正教への対抗上、

 

偶像、つまりキリスト像やマリア像を使って

当時のフランク人を改宗することで

勢力拡大を図りました。

 

その歴史が、ルネサンスへつながった

ことは否定できません。
 
十字軍は、
キリスト教聖地エルサレムの奪還を目指して
8(7)回派遣されていますが、
その目的とは別にイスラム世界から
ごっそり財宝や文化などを持ち帰っています。

その中身をよく見たら、
忘れていた自分たちの祖先の財産があった
ということになります。

驚いたのは、自分たちでしょう。
キリスト教の呪縛から解き放たれた、
それがルネサンスです。
 

ルネサンスは、

イスラム文化のおかげで押さえられていた

欲望が目覚めた、意識革命である

ということができると思います。
 

特に頭がいいから勉強ができる、

オレはどうせダメだと思っている

中学生には

 

人間の能力というのは、

頭脳の善し悪しなどではなく

意識の違いで大きくかわる

 

という事実を伝えたいものです。


今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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