「倭寇」は海賊とはいえない

「元寇」というのは、幕末から明治に至る情況の中で
作り出されたもので、
「寇」は「ぬすびと」「こそどろ」という意味だということです。
杉山正明氏著「モンゴル帝国の興亡 下」(講談社現代新書)
 
「元寇」に対して「倭寇」もあって
「倭」は、同著によれば、

負のイメージ「ねじれた、もしくは萎縮した人間」
と連結していて、

中華思想を背景とするとあります。
著者は「強烈なまでに込められた人間差別の『文明観』」

だとも述べています。

本来「倭寇」はまさに「中華思想」から生まれた言葉ですが、
それを踏まえてできた「元寇」は
 

「中華王朝」の「元」と「中華思想」の「寇」であって
つまり、ちぐはぐな言葉だと述べています。

それは、歴史上の「倭寇」の語を十分すぎるほど意識したうえで
そのアンチテーゼとして意図して生み出された政治的メッセージで
 

熱を帯びた頭と心がつくりあげた、ことさらな造語
と述べています。(同著)

事実をありのままに見つめることの難しさを
杉山正明氏は、述べているのですが、

歴史の用語として定着しているのだろう
「倭寇」もまたその誤解を受けた一つであることは
まちがいありません。

「倭寇」(「世界史の窓」より) 右が倭寇 生活の貧しさがよくわかる

 

「(前期)倭寇」と「(後期)倭寇」は全く別

「(後期)倭寇」に日本人はほとんどいなかった

 

  「(前期)倭寇」と「(後期)倭寇」は全く別

 

中学校の教科書で「倭寇」が登場するのは、

だいたい2回です。
 

最初は、室町幕府の足利義満の頃で、
倭寇と区別するために勘合符を使った勘合貿易をした
というところです。

次が、鉄砲を伝えたポルトガル人を乗せた船が
中国人の倭寇だった、あるいは秀吉が倭寇を取り締まった、
という極めて短い文面です。
本文とは別の説明がありますが、
きちんと理解しないと
「倭寇は日本人の海賊」という認識で終わってしまいます。

倭寇には、
前期倭寇と後期倭寇の二種類あるとするのが一般的です。

前期倭寇は、14~15世紀、
朝鮮半島に関わる倭寇、
後期倭寇は16世紀中国本土と関わる倭寇です。
これは全く別ものだというのが最近の考え方です。
 
前期倭寇は、初めは日本人、
壱岐、対馬、肥前の松浦・五島地方が主で、
当初貿易をしていましたが、

独自の文化をもっていた朝鮮半島の国々も
高麗、次の王朝李氏朝鮮は中華文明の影響が大きくなります。

中華思想により生産しないで利鞘で稼ぐ商業は
蔑視されるようになり、対等な貿易も認めません。

高麗がモンゴルの攻撃に耐えられなくなり、
貿易どころではなくなると、
生きていくために三島などの日本人と共に
海賊行為をするようになります。

そのうち、
高麗の非定住で賤民といわれた

皮革などを制作する禾(か)尺(しやく)、
 

仮面芝居や軽業を職とする才人が

倭寇の主体となっていき、
日本人は多くても2割との

李氏朝鮮での報告書があるそうです。

 

  「後期倭寇」に日本人はほとんどいなかった

 

後期倭寇は、ほぼ8割が明国人だったといわれます。
16世紀は明の時代で、
中華思想に基づき商業は蔑視、国策として海禁(鎖国)でした。
 

しかし、福建、浙江省らの中で、
定住せず交易を生業としていた人たちがいました。

生きていくことができず、
当然非合法的な交易を行います。

海外との商取引と海賊行為は紙一重で、
強いと思ったら駆け引きで取引し、
弱いと思ったら海賊行為に出ました。

つまり、後期は倭寇とはいいがたい、
フェイク倭寇ということができます。

 

さらにメンバーのほとんどが明国人なのに

ことさら「倭」を強調して「倭寇」です。

 

日本人が2割もいないのにそれを「日本人の集団」

とはいわないでしょう。

 

しかも、もうすでに日本が「倭」といわないで、

私たちは「日の本のくに」だから「日本」だ。

と宣言して500年はたっているでしょう。
 
そして、このいわゆる後期倭寇に、
日本に鉄砲を伝えたポルトガル人に
橋渡しをした明の王直がいます。

鉄砲の伝来は、ポルトガル船の漂着ではなく、
明らかに戦国時代の日本を商機とみた
意図的な商行為であったとされています。
 
ちなみに、商業への蔑視は、
朱子学のみならずヨーロッパにもあり、
シェイクスピアの「ベニスの商人」の
シャイロックというユダヤ人に対する台詞が有名です。

ユダヤ人は紀元前6世紀に新バビロニアに捕囚され、
その後、新バビロニアを滅ぼした
アケメネス朝ペルシャによって解放された後も、
アレクサンドロス大王、ローマ等に支配され、
民族は世界に拡散していきます。

選民思想をもつ彼らはその国に決して同化せず、
差別の対象となっていき、

生きていくために
キリスト教の嫌悪する金融業に就くしかありませんでした。
  
朝鮮では、秀吉の朝鮮出兵も
「倭寇」の一つだといっているそうです。

あくまで、日本は明の属国なのであり、
「倭寇」は日本人の野蛮さの象徴となっている

ということです。
  

倭寇は、最初は日本人が多かったが、

のちほとんどが、高麗、李氏朝鮮、明国人だった

というのが本当のところだということです。

 

しかも、海賊というより

国家からあぶれた生活困難な

人たちだったということです。

 

海で生業をたてていたのが「(前期)倭寇」に対して

同じ時期、日本で陸では「悪党」がいたわけです。

 

どちらも、政情不安な時代が生んだ

生きるための生業であったことは確かです。

 

この「倭寇」の部類の誤解というか思い込みというか

は、今でも山ほどあります。

 

日本の近・現代史そのものがいまだに

「倭寇」となっています。??


   
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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