漢字と仮名と和製漢語

 

NHK大河ドラマで「光る君へ」が始まりました。
私は高校時代古典が、英語以上に苦手で

訳しても訳してもよくわからない。
ずいぶんたってから気がついたのは、現代と
習俗・習慣・文化などの違いが背景にあったことです。

これは、外国語も同じです。

女御や中宮といわれても、その関係性がわからない。
考えてみれば、

古典も歴史だと思うとまた変わってきたのでしょうが、
 

古典は古典、歴史は歴史と情けない考え方をしていました。
ただ、試験のために勉強していた、それだけです。

今、古典のマンガが出版されています。
この古典マンガを読むだけで

 

相当古典には強くなったはずです。
物語の背景の生活や文化が視覚となって入ってくるからです。

古典だけではなく歴史にしても
学習マンガは優れもので、流れが理解できるので
苦手な人も歴史をおもしろいと思えるだろうと思います。

新聞広告で、「このマンガは本当に凄い」

という伊沢拓司氏のことばは、たぶん本当です。

 

受験生のお父さんお母さんがいたら、
ぜひ薦めてみてください。

前回は中世ヨーロッパとイスラム世界の文化について
触れました。
今日は、日本の中世の文化について考えて見ます。
 

 

平安時代すでに日本独自の文化が存在した

漢字と日本人

 

  平安時代すでに日本独自の文化が存在した


日本では、紫式部の「源氏物語」が
すでに11世紀初頭に登場しています。

清少納言の「枕草子」とともに女性文学のさきがけ
ともいわれます。

 

この時代に恋愛小説や随筆を、しかも

女性が著したのはここ日本だけです。

 

しかも、欧米に比べて少なくとも、

500年も早いといわれているようです。

 

 

なおかつ、現代においてもその文学的価値は

高いわけです。

 

菅原道真が、遣唐使中止とした9世紀末以来、
日本は文字の上でも独自性を編み出しました。

 

結果論かどうかは分かりませんが、

菅原道真の遣唐使廃止決断という

慧眼はここでも光ります。

日本には、文字はありませんでした。
中華文明からの輸入です。

結局日本は、中華文明から多くのことを

学びましたが、

 

その結果すべて元祖とは似ては似つかぬ文化と

なっていったのです。

 

儒学を日本のように学んでいたら

日本とももう少し話が通じる

もう少し変わった文化が芽生えていたかも知れません。

 

何度触れましたが,現代のチャイナは、

日本の影響なしには、存在し得ないというのが

事実です。

 

たとえば、一つだけ例を挙げても

 

「中華人民共和国」

の中で,「人民」も「共和国」も

日本からの輸入です。

 

なぜなら、「人民」はpeople

「共和国」はrepublic  を

明治になって日本が英語から翻訳した

和製漢語だからです。↓

 

 

  漢字と日本人

 

文字の話に戻します。

 

そして、この遣唐使が廃止されて唐との交流を絶った後、
ひらがな(平仮名)とカタカナ(片仮名)が誕生しました。

 

「音(おと)」と文字が一致する表音文字です。
漢字を輸入した時に、
ついてきた読み方が「音読み」で、

もともと日本にあった言葉とその漢字の意味を一致させたのが
「訓読み」です。

宮脇淳子氏の著作「日本人が教えたい新しい世界史(徳間書店)」では、
例として、漢字「男」や「女」が意味する「おとこ」や「おんな」が
その「訓読み」となったと紹介されています。

漢字そのものは、
中華王朝のように一つの民族が支配することが常ではない時、
その「意味」が重要になってくることは、
先に述べたとおりです。

逆にいえば、
同じ漢字でも地方や時代によって読み方は異なることになり、
それだけ漢字の意味が「統一」されることに
大きな意義があるといえることになります。

「科挙」試験は、
全国どこへ行ってもどんな人でも
「意味が同じ」である統一した国をつくるためには
必須だったということになります。
 
日本では、平安時代にはまだまだ、
仕事で漢字が主流であった頃、
 

それに縛られないカナを

女性が私的な場面で自由に使うことで
日本人の感情や感覚を豊かに

表現できるようになったはずです。

その便利さと表現の豊かさは
しだいに男性も使うようになったのは、
紀貫之が自ら女性の姿を借りて著した
「土佐日記」でもわかると思います。
 
もともと、漢字を輸入した時に、
漢字だけでは表現しづらかったので、
漢字の意味を無視して「おと」だけを活用した
「万葉仮名」が使用されるようになっていました。

「古事記」や「万葉集」にも使用されています。

しかし、このいわゆる「当て字」は
複数であったことや漢字自体が複雑なこともあり、
実際「古事記」を読むことは極めて困難ということです。

そういう経緯もあるのか、「万葉仮名」を崩して
簡略化することで「ひらがな」が生まれ、

「カタカナ」は、「万葉仮名」の一部抜き出し
というのが定説のようです。

この「カタカナ」は、
僧侶が用いる読経の漢文の行間にヨミがなとして
用いられたのではないかといわれています。
  
養老孟司氏は、この漢字習得のために、
アルファベットを使用している諸国に比べ、
日本人の脳のエネルギーの消耗が激しいと述べ、

「漢字と日本人(文春新書)」を著した高島俊夫氏は、
漢字は日本人の伝統的な生活スタイルに
途中から入ってきたもので、実際には合わない。

 

↑これは名著です。一読の価値あり。


しかし、「腐れ縁」で付き合っていくしかない、
と述べています。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 
 
 

 

 

 

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