桓武天皇は新しい仏教に期待した

 

今度の能登半島地震で、
原発にも被害があることをニュースで知りました。
関係者が言っているとニュースが伝えたのが「想定外」。

今度の地震は「想定外」。
どこかで聞いて忘れることのできないことばです。

東日本大震災後、原発はやめよう
ということになったと記憶しています。

その後ロシアのウクライナ侵攻に関わり
石油や石炭価格が高騰し、かつ日本に入りにくくなると
 

再生可能エネルギーだけでは、電力不足でコストも要する
さらに二酸化炭素も排出しない安定したエネルギーとして
原発が見直されました。

しかし、世の中には「人知」を超えるものなのだという
未知だらけの宇宙や自然への畏怖の念と謙虚さがあれば
原発が絶対安心とどうして言い切れるのでしょうか。

まして事故があったときのコストは計り知れないことは
被害に遭っていまだ故郷に帰れないでいる福島の方たちが
一番よく理解していると思います。

 

ではどうするのか。
現在火力で極力二酸化炭素を押さえる技術を
日本はもっていますが、

なぜか知る人は多くありません。

石炭から石油、さらにアンモニアを使用して
安定した電力の供給が見込まれています。

ただ、アンモニアや水素の安定した低コスト生産まで
至っていないのが現状ですが、

これが可能になれば、発展途上国にも貢献できます。
本当はそういう計画があったそうですが、なくなりました。

 

この辺は長くなりますので、

いつか機会をみてご紹介したいと思います。
 

日本人の信仰心は、自然への感謝と畏怖の念に根本がある
と私は思っています。
それが神道の起原だと思います。

もう一度日本人の信仰心と良心、
大乗仏教が日本に根づいた意味を考えれば
もう少し日本に未来が見えてくるのはないでしょうか。

 

皆を救うための大乗仏教が日本に根づく

最澄と空海、そして平安京

 

  皆を救うための大乗仏教が日本に根づく

 

仏教が日本に入ってくるのは、538年、
朝鮮王からの贈り物として国が受け入れました。

インドに仏教がおこって千年もすでに経ており、
 

ブッダが始めて以来、
その悟りに至るための

個人が救われるための上座部仏教から、

一人だけ救われるのではおかしい、皆が救われるべきであるとして、
別の解釈をする大乗仏教が誕生する時代になっていました。
 

この大乗仏教が日本に入り、根づいて今日に到るのは
単なる偶然ではないでしょう。

また、「人を苦から救う仏教」は、
思想、学問、さらには日本の祖先信仰や怨霊信仰にも溶け込んで、
死者の魂を鎮魂する方法として
国が独占権を握るようになっていきます。

すでに聖徳太子の十七条の憲法の条文に仏教思想は組み込まれ、
奈良時代には、聖武天皇の「盧舎那仏(奈良の大仏)」が
国家鎮魂の役割を担っていました。
 
さらには、平安時代に、
最澄の顕教と空海の密教の時代を迎えます。

最澄は国費留学生として期待されて唐へ留学したのに対し、
空海は私費留学生でした。

 

  最澄と空海、そして平安京

 

最澄は唐の最新の仏教である
天台宗の奥義といわれる

法華経、禅、戒律、密教を学び帰国しました。

これに対し、空海は
最澄と異なり特に期待されたわけではありませんから、
期限に余裕があったといわれます。

それでも最澄が消化不良のまま帰国した密教を、
短期間で全て消化して帰国しました。

同時代の天才といわれる二人です。
最澄は天台宗を比叡山延暦寺におこし、

これ以後日本の鎌倉仏教で活躍する
日蓮(法華)、道元(禅)、親鸞(戒律)など
ほとんどの弟子が育ちました。

これに対して空海は、
真言宗を高野山金剛峯寺におこしました。

最澄の天台宗は顕教といわれ、
学問を通して真理に到達しますが、

空海の真言宗は密教といわれ、
言葉で真理に到達することはできないとしています。

その方法を記したのが曼荼羅で、
絵によって示されたものです。

最澄は、この点について空海に教えを請い、
何度か手紙もやりとりしているということですが、

最終的には空海が断っているのです。

それは、自転車や水泳が教本で教えることが不可能だということを
考えるとわかりやすいかも知れません。
書物ではわからない、体得しろということです。
 
加持祈祷を用いる密教は、
呪術的なその教えが興味をそそり、

皇室から一般人まで、
国家の重要案件から日常の些事まで
なんでも加持祈祷で解決しようとする風潮が高まっていきました。

奈良時代の仏教では、国や人々を救うことが
かなわなかった、
そうした想いが新しい最澄や空海の仏教に期待された
そういうことだと思います。

天皇個人のための祈祷を行う護持僧が、
延暦寺や園城寺など、密教の大寺院から選ばれたり、

国家・宮中行事として宮中で正月に開催される行事のほか
天災・疫病・出産など
様々な名目で各種様々なの祈祷が行われたりしました。

さらに陰陽道が盛んになり、
その要素を取り込みながら
日本独自の加持祈祷が成立することになります。

安倍晴明が平安時代のヒーローだったことを思い出すと
わかるような気がします。

こうした神や仏と世の中が結びついたところに
この時代の政治がありました。

政(まつりごと)=祭り事が、祈りや祈祷、儀式
となっていった背景なのだと思います。

 

世の中は人の力を超えて動くもの

だからこそ祈ることによって

世の中の安寧と人々の心の平安を願う

その世の中と神の世をつないだのが

天皇だったといえます。

 

お正月も過ぎましたが、干支、

そして厄年、還暦、大安、仏滅、さらに節分
そして亡くなった時だけ出てくる享年という数え年など
 

これらはまだ、

我々日本人の生活から消えているわけではありません。

 

少なくともココロの拠り所であり、

行動の指針となっているのはまちがいありません。
 


今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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