「理想」は「空論」であってはならないという教訓

12月になりました。

とたんに雪が降ってきました。

天気予報は、ずっと雪か雨。

 

この季節は、冬至に近く明るい時間は短く

加えて、太陽が見えない季節です。

日照時間というのが、極端に短い季節なのです。

これが日本海側ですね。

 

加えてマイカー通勤しか頼りになりませんから

渋滞とスリップ事故というストレスがあります。

 

この季節、いくつになっても

クリスマスとお正月を楽しみにしています。

 

歴史における「正論」は世界を幸福にしたか

日本の歴史の根底に流れているもの

 

自分は、歴史の授業を行うとき

いつも、現在の自分(生徒のこと)とその時代をつなぎ、

決して歴史は過去のことではないこと

 

そしてその時代の特徴はもちろん大切ですが、

長い時間のスパンで考えるようにしてきました。

 

 

  歴史における「正論」は世界を幸福にしたか

 

歴史(的分野)の教科書の巻末や資料集などでは、
年表が載っています。
縄文時代から始まって…江戸、明治、大正、昭和、平成、令和…
となっていると思います。

日本の歴史の流れとしては
先縄文=先土器、つまり世界史上の旧石器時代に始まり、
縄文・弥生、古墳時代は土器・遺跡の名称
飛鳥から江戸までが都や政治の中心の都市の名称
明治から令和までが元号です。

最近は、先縄文・先土器時代といういい方は
あまり聞きませんが、
名称は生きているのでしょうか。

これとは別に
原始-古代-中世-近世-近代・現代という流れがあります。
これは、マルクスの史観の影響だそうです。

最近は、このマルクスの進歩史観もかなり懐疑的です。
人類は進歩しているのか、ということです。
では「進歩」とは何なのかということもいわれます。

「進歩」は利便性・効率性と考えれば、
科学技術は進歩しているといえるかもしれません。

「歴史」の学習が終わる時期、中学生にも考えさせます。

人類の「歴史」は進歩しているのかと。
その前に「進歩」ってどういうことと質問します。

すると自分に照らし合わせて「よくなること」
などと考える生徒も出てきます。

わかりやすくて正しいと私は思います。

となると、
たとえば、「環境」に関していえば、
むしろ退歩しているというでしょう。

人類共通「戦争」はよくないと
多くの人は思っているはずです。
同じように「人権」としての平等、差別、虐待
貧困からの脱却など理想は見えてきます。

実はこれを突き詰めていくと
SDGsの17のゴールに行き着くように思えます。

部分的にはよくなってきたものもあるけれど
「歴史」は?
「世界全体」は?   となると
どうも「進歩」しているとはいえない
と中学生は考えています。

では、どうしてできないのか。

単純にいえば、人類は本気になっていない
各国が自分の国の都合しか考えていない
目標自体に無理がある など

しかし、以前同じような理想を目指したことは
歴史上何度かありました。

典型的なのは、「平等」を目指した社会主義です。
マルクスのいう階級闘争で
 

支配層から利益をむしり取られている(搾取)
下の階級(労働者=プロレタリアート)が
上の階級(金持ち?ブルジョア)を倒していって
やがて平等な共産主義社会が誕生する。

しかし、結果として誕生したのは
一つの価値しか認めないという
全体主義と暴力でした。

1990年代になると雪崩のように
社会主義国は崩壊していきました。

「平等」という誰も文句のつけようのない
理想の社会は、理論上は正しかったが
やってみたら地獄だったということです。

普通誰も覚えていない
「不戦条約」という第一次世界大戦の反省の元
1928年につくられた条約もあります。

紛争を解決する手段としての戦争を禁じています。
正しいのです。
しかし、現実はどうでしょう。
侵略戦争はだめだが、自国防衛は例外である。
としてもその線引きは曖昧です。

日本はこれにみごとにはまって侵略国の汚名を
いまだに抱えています。

SDGsは、だれも批判することのできない理想です。
たぶん、これを一番忠実に実行している国の一つは
日本以外考えられないのですが、
なぜか「化石賞」という汚名を着せられています。

 

「正論」という反論できない主張のとき

私はいつも、現実と照らし合わせて考えて見ます。

 

だいたいは、直観でそれはとんでもないことになりそうだ

と思うのですが、

それに反論する理論が出てきません。

 

 

  日本の歴史の根底に流れているもの


マルクス史観の進歩史観もかつては、

歴史の発展理論として科学だといわれた時期がありました。

 

マルクスは
原始共産制-古代奴隷制-中世封建制-資本主義-(社会主義)-共産主義
だいたいこんなだったと思います。
日本には制度としての奴隷制はありませんでした。

すでに歴史上、社会主義の段階で

ほとんどの社会主義の国は自壊しましたし、

社会主義国となった段階で

その国が「資本主義」だったかというと

 

むしろそういう「資本主義」国家は、

社会主義の革命を嫌いました。


ただ、確かに
実はヨーロッパと日本がこの進歩史観に当てはまる

ということを
読んだことがあります。

ただこれもマルクスの進歩史観を踏襲したのかどうか

わかりませんが、


原始-古代-中世-近世-近代・現代

という流れがあり、

世界史の「時代区分」として流れをとらえることができる

としている参考書は多く見られます。

私は次のように中学生には考えさせています。
世界史はまた別で長くなるのでここでは略します。

 

原始-ムラの時代(旧石器~弥生)
古代-天皇中心の古代国家誕生(弥生=卑弥呼の頃~平安)
中世-武士登場の時代(鎌倉~戦国)
近世-荘園が消滅し武士が全国統一(安土桃山・江戸)

安土・桃山を中世としている場合もあるようですが、

信長の寺社勢力根絶による荘園消滅は、明らかに近世の時代だと

私は考えています。
近代-明治維新以降の和魂洋才の天皇中心の中央集権国家
現代-主権在民の時代(日本国憲法下の日本)

実際には、何年から何年まで原始などと
規定しているわけではありません。
近現代は特に曖昧です。

 

しかし、「国民=民の利益」を主体にしてに考えると、

(「国民」の概念もはっきりしませんが)
曲がりなりにも古代国家が誕生し
貴族という一部から武士、そして国民主権と
利益の受け皿が拡大していった歴史が見えてきます。

ただ、思想としては
聖徳太子の「十七条の憲法」を読むとわかるのですが、
すでにこの時代に「大事なことはみんなで決めるべき」
という民主主義の考え方がある
と考えることもできます。

 

日本は古来、自分だけがたのしくてもつまらない

と考えてきた国民なのだと思います。

 

根底には

「お陰様」や「おすそ分け」の「利他」の思想があります。

 

苦しいながら古来現代まで繁栄していることは確かです。

 

一時期世界は日本の異を最も進んだ「社会主義」の国

といったことがあります。

 

しゃかい主義

「社会主義」ではなくて「釈迦主義」だったのでは

と思ったりしています。

 


この世界史の流れだという時代区分を

チャイナに当てはめるとどうなるか。
かなり困難です。

コップ28がアラブ首長国連邦で始まりました。
人類の見えない未来より目の前の自国の利益
現在はそういう風潮です。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
 

 

 

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