原始・古代にはいる前に

私が、子供に歴史を学ぶ意義を問われたとき

いくつか対応した答えがあります。

 

何ごとも根元から自分の頭で考えるのが

教師をやってついた習慣です。

 

  現在の自分から将来を考えると…

自分が中学校だった今から50年も前
漠然とした将来への不安がありました。
将来への期待より、漠然とした不安です。
それは、先が見えないからだったと思います。

結局中学校の時は高校入試に
高校の時は大学入試に
大学卒業する頃は…この時どうするか決めていなかったわけです。
教師になるとやっと決めて2年さまよい、仕事に就きます。
以来退職するまで続けました。

教師の時は、授業と同じくらい進路選択を重視しました。
今は「キャリア教育」といって
将来の設計を大変大切にするようになりました。

天才といわれる人たち
イチロー選手もそうですが、
小学校時代にすでにプロ野球選手になる
しかも、一流になると宣言しています。

それと凡人の自分の失敗例を扱います。
いわば、天才といわれる人たちは、人生の目標(夢、志)を決め
それから現在を逆算して方向性と道のりからやるべきことを計算します。

かたや自分は今いる時点から見えていない将来を見ます。
見ても目標がないのでどこへ行こうかわからないわけです。

私は子供にいっていました。
どうして学校が終わったら家へ帰ることができるのか
当たり前のようですが、
自宅の場所がはっきりしているからです。
もちろん、そこに行きたい(還りたい)と思うからです。

同じように1週間後に家族で温泉に行くことを決めます。
そうするために宿題を終え、健康を整え…と逆算するはずです。
 

 

  自分の将来は歴史と関わるとしたら?

 

実は、人類の歴史と大いにかかわると私は思っています。
他の生物は、生態系の中で本能に従い、子孫を残して死にます。
それは、絶滅しない限り永遠に続きます。

ところが、人間は生物としては確かに同じですが、
人類が進化し始めた頃と現在では生活スタイルがまるで違います。

「歴史」に関していえば、「文字」があるから「歴史」がある
というのが、「歴史学」の考えなのだそうです。
 

基本的に「文字」がない民族には「歴史」がありません。
なぜなら、記録がないからです。

では、文字がなかった旧石器時代や日本の縄文時代は
どうなんだとなります。
 

これは確かに「先史時代」とはいいます。
つまり歴史の先の時代ということでしょうか。

戦後は特に実証主義で

文字がないと証拠がないという考え方が
強かったそうです。

これに対して「逆説の日本史」を執筆している井沢元彦氏は
普通当たり前のことや宗教に関しては

かならずしも文字に残さない、だから証拠がない
とはいいきれないと述べています。


渡部昇一氏も同じようなことを述べています。
かつて、(汚い話で恐縮ですが)
ものを盗んでは脱糞していく泥棒がいたそうです。

仮にその泥棒がメモを落としていけば証拠になり、

これが「歴史」だ。
 

一方、

糞からは食べ物や生活の様子がわかりやはり証拠になる。
だから、「文字」だけが歴史の証拠とはいいきれない。

確かこんな話だったと思います。

同様に資料という証拠を積み上げても

歴史は見えてこないとも述べていることは

昨日も紹介しました。

 


現在では、文字のない時代を「考古学」というと思いますし、
そこからは「先史時代」が浮かび上がってきます。
考古学とはいわないでしょうが、

美術品や遺跡も立派な歴史の証拠となりうるはずです。

では、過去を知って何になるというのでしょう。
と、これが説得力をもったかどうかはわかりませんが、
だいたい歴史嫌いの子供がもっている

「食べず嫌い」を払拭するため
こういうことばがあります。

 「過去が咲いている今 未来の蕾で一杯な(の)今」
河井 寛次郎(1890〜1966)陶芸家
何冊かの著作で出会った言葉ですが、一字だけどちらが正しいか不明のままで申し訳ありません。

過去を制するものは未来を制す。現在を制するものは過去を制す。
Who controls the past controls the future; who controls the present controls the past. 
ジョージ・オーウェル(1903~1953)イギリスの作家

どちらも「温故知新」ということだと思います。
過去を知ることで未来がわかってくる。

そこで最初の話に戻ります。

「自分の未来はわからないだろうが、
自分のこれまでをよく反省することで

そして今を一生懸命生きることで
どうすれば自分がよくなるだろうということがわかってくる。」

「歴史は、皆さんの父母、祖父母、祖先ことだから
皆さんとは必ず関係がある。
つまり、人類の過去を知ることは、

皆さんの未来を決定することにもつながる」

それにしても 河井 寛次郎とジョージ・オーウェル
日本人と西欧人 の何と感性の違うことよ
歴史観を同じにすることなど私は不可能だと思っています。
ただ、理解し合えないかといえばそうでもないと思うのです。
それがないと、人類の未来は実に危ういからです。

 

 

ちなみに、
人類は、600万年としても
恐竜の生存期間のまだ4%にも達していません。

人類は生き延びることができるのでしょうか。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

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