今日のニュースによると今年9月からの
日本の水産物のチャイナへの輸出が0(ゼロ)だった
ということでした。

ロシアもそれに倣うということです。

2010年の尖閣諸島付近での

チャイナ漁船の海上保安庁船へ衝突
 

2012年の

満州事変の発端となった柳条湖事件から81年を迎えた
9月18日以来の日本政府による

尖閣諸島国有化に抗議する反日デモ
 

2015年頃までの半導体に必要なレアアース輸出規制

どう考えても日本に非があったとは思えません。

最近のことですが、過ぎると忘れています。

今回の水産物輸出対チャイナが

ゼロになった件を持ち出すまでもなく
脱中国がはじまっているといいます。

結局どんなにチャイナのことを考えても
わかろうとするどころか

日本は戦犯であり、永遠に許されないのだ

といってきたと思います。

 

残念ですが、もっと早く気づくべきです。
遅すぎます。

そして、チャイナから去ろうとすると
なんだかんだと引き留めるだけでなく
 

スパイ行為等チャイナのために尽くした日本人を
疑い、逆恨みなのか帰国させません。

 

企業も財産をもって日本へ戻ることが

可能かどうか。たぶん…

1979年~2022年3月に到るまで、
2010年日本がチャイナにGDPで2位に抜かれても
日本は、政府開発援助(ODA)を
約3兆6600億円援助してきました。

 

1917~1918年、チャイナの軍閥段祺瑞政権に
日本は1億4500万円を借款、
つまり長期貸し付けをして結局回収不能となりました。

感謝されたことはあったのか知りません。
どちらも何に使われたかはわかりません。
同じ繰り返しでした。

そして、アメリカと戦争を始めた原因の一つは
チャイナにありました。

 

  「日本人は軍部に欺されていたのか」が結論か

 

アメリカとの戦争が始まった時、
日本国民はどう思っていたのか。

よく目にしたのが、
「欺されていた」

「大人と子どもの戦争で始めからわかっていたことだ」
という論調です。
 

そして、軍国主義日本を批判した内容です。

しかし、それは開戦時のことではありません。
 

半藤一利著「昭和史」には、
半藤氏が子どもの頃のことが書かれています。

「…この日は非常に寒かったのですが、東京の空はきれいに晴れ渡っていて、その澄んだ空のように、なにかこう頭の上を覆っていた雲がぱあーっと消えたような、晴れ晴れとした気持ちをもったことを覚えています。日本人のほとんどがそう感じたと思います。(中略)たいていが万歳万歳と叫び声をあげています。雄叫びといったらいいでしょう。」

とあります。

そして当時の小説家や評論家のいったことが記されています。

「対米英戦争が布告されて、からっとした気持ちです」本多顕彰
「大戦争がちょうどいい時にはじまってくれたという気持ちなのだ」小林秀雄
「維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙に晴らすべきときがきた…」亀井勝一郎
半藤一利著「昭和史」(平凡社)

 

 

 「『日本人にとって太平洋戦争とは何だったのか』については、
戦前戦後とも国民は、
一億皆『他人の言葉』でものをいうということで
一貫しているといっている」といっているのが、
山本七平氏です。

戦前主義であれ、戦後主義であれ、
そのときの○○主義を信じ切ってその世界に埋没しているだけだ、
とも述べられています。

さらに、それが正しいということを証明する方法は簡単で、
その時点でも外部と自己を遮断して
しばらくその時代の新聞・ラジオ・テレビだけの世界に
埋没してみればいいといいます。

つまり、今は、何であんな勝敗が分かりきった
バカな戦争をしたのかとしたり顔でいうが、
当時の新聞も雑誌も開戦を喜び、
気分が爽快だという雰囲気に満ちていたということです。

その時の毎日新聞の社説をもって
それを証明していると言い切っています。

少しその部分を引用してみます。
 

 

「一億総進軍の日は来た。待ちに待った日が来た。米英両国に対する宣戦の勅書を謹読するもの、誰血沸き肉躍るの感を抱かないものがあろう。既に事は決した。我ら全国民は東条首相の謹話にあるとおり『必勝の信念』を以て最後の勝利を確保するまで戦い抜こう。」途中には「わが国民はよくここまで辛抱した」「東亜の解放戦だ。新しき大東亜の創造戦だ。」
  山本七平著
  「戦争責任と靖国問題 誰が何をいつ決断したのか」(さくら舎)

半藤一利氏も山本七平氏も戦時中を体験した方であり、
山本七平氏は従軍の体験もある方です。

私は、このお二人が述べているような雰囲気が、
この当時を覆っていたと感じています。

真珠湾攻撃から日本は連戦連勝、
日本にいる国民は誰もが喜び、
負けるはずのない戦争だと思い込んでいたといいます。
 
そして、戦後は、山本七平氏が日本に戻ってきた昭和22年、
「我々は皆軍部に欺されていた」と
本当に手のひらを返したように皆変わっていたと述べています。

 

  日米開戦時、日本人は皆晴れやかだった

 

対米英戦争が始まった時、

国民は皆気分が晴れやかだった。
そういうことだと思います。

 

戦争が始まって晴れやかだったって?

あり得ないだろう、というのが

以前の私の考えであり、現代感覚だと思います。

 

しかし、どうもそうではなかった

というのが最近の私の考えです。

なぜそうだったのか。
アメリカは、その8割を輸入している石油を止めた
さらに、大陸から引き揚げろといいました。
 

それは、日本に自殺しろというのと同じだったということです。
石油と食糧がなくなるということです。

日本人は、

生存の望みを絶ちきられ生物的本能で発狂した
ということではないかということです

私が考えている現在の開戦理由はそこにあります。

どうせ死ぬんだったらやってやろうじゃねえか
ふざけやがって!!(言葉がきたないことをお許しください。)

開戦で皆スカッとしたということです。

終わってみて
あまりの悲惨さに、はたと我にかえった
そういうことだったと思います。

 

 

一つだけつけ加えると

「食糧問題」と「エネルギー問題」がなければ

この戦争はあったのだろうかということだと

私は思っています。

 

つまり、この「食糧問題」と「エネルギー問題」

はいうまでもなく今も日本の最大の問題であり続け、

 

この数年実にはっきりと

誰の目にも明らかになってきているわけです。

もひとついえば、この重要な

戦争せざるを得なかった理由を80年間

後回しにしてきたという事実です。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

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