日清戦争は「国民」対「小人」の戦い

日本が日清戦争で、

「眠れる獅子」と言われる清国を破ったのは

いち早く「国民国家」に変身したからにほかなりません。

 

これに対して清国は、

清朝自体が、というより

中華歴代王朝が、国民を食わせることができればよい

あとは、極端に言えばなにをしてもいい

という支配体制であり続けたからです。

 

国民という言葉しか見つからないので

あえて国民と言いましたが、

むしろ「人民」であり、

 

チャイナではこれを「小人=しょうじん」

というそうです。

「大人=たいじん」もいて、

この少数の「大人」が大多数の「小人」

を支配しているということになります。

 

「小人」は、文字も知りませんし、

当然「国民」という意識もありません。

 

高校野球も慶應義塾高等学校が優勝しましたが、

 

わかりやすくいうと

こうしたすばらしいチームとは対極にある

チームの一員などという意識がない

のと同じです。

 

まして、応援団がチームと一体となって

応援して優勝の歓喜を味わうと言う幸福も知りません。

 

清朝自体が、もはや統治能力もなく

いや、統治する意識もない状態で

 

だからこそ、李鴻章をはじめとする地方の実力者が

軍閥としてその地方を実力で支配しています。

 

早い話が、国はバラバラ、グチャグチャだった

ということです。

 

日清戦争は、李鴻章は世界最新鋭の軍艦をもっていましたが

たぶん、参加した兵はまったくやる気がなかったと思います。

 

最近の言葉を使うと

やる気のない民間軍事会社と国民軍との戦いです。

意識がまったく違うのです。

 

そしてさすがに清国も衝撃を受けたと言うことです。

 

この時の留学生には日本でも著名は作家魯迅

もいたはずです。

 

まずは、「和製漢語」というすばらしい西洋の文明がつまった

「漢字」言葉を日本で見つけるわけです。

 

日本人の血のにじむような努力の結晶を

持ち帰ります。

 

昨日も言いましたが、現在のチャイナも本当は

いっぱい日本の影響というか、お世話になっているのです。

 

岡田英弘著「中国文明の歴史」によれば、

現代チャイナは,日本なしでは語ることはできない

といっています。

 

国名である

「中華人民共和国」のうち
これまでの中国語にあったのは「中華」のみです。

人民=people

(昨日はこっちを忘れました。フォロワーの哲人クニちゃんが教えてくれました。ありがとうございます。)

共和国=republic
 

5/7が日本語です。

 

日本語には「お互い様ですから」

というのもあります。

これもいっしょにもっていってくれたら

もう少し,理解し合い、なかよくできたのですが。

今からでも遅くないです。


 

  日本人は,辛亥革命のために惜しみなく尽くした

 

「和製漢語」のほかに

もう一つ日本で学んだ「西洋式軍隊」があり、
日清戦争の敗戦した清が最も望んだのがこれでした。

清朝政府は、この「西洋の軍隊の日本化」
つまり「日本化された軍隊」を採用し、
新軍が結成されます。

先の岡田英弘氏の同著によれば

この日本の陸軍士官学校で学んだ将校たちの反乱が、
辛亥革命の中核であったとしています。

そして、最大最新の新軍の兵力を保持していた袁世凱が、
その政権を担うことになります。
 

宮崎滔天は、革命のために無私の献身を続け、  
 

また、梅屋庄吉のように、実業家でありながら、
孫文を支えた日本人も多くいました。

その支援額は莫大で1兆円とも2兆円ともいわれます。
梅屋はこの事実を他言しないよう子孫に伝えたといいます。

現在レストラン「松本楼」として東京日比谷にあります。

日露戦争後は、日本への留学がさらに増加しました。
  
1911年に辛亥革命が起こると、
アメリカにいた孫文が帰国して革命を率いることになります。
権力が巨大になったというので要職を解かれていた袁世凱が、

清朝に再び全権委任されて孫文ら革命軍と対峙します。
内戦を回避し、
平和裏に清朝を解体することを条件に
孫文は大総統の地位を袁世凱に譲ることになりました。

こうして1912年に中華民国が誕生しますが、
全土を掌握することはできず、
共和制に移行することもできず、

全土掌握のため袁世凱は、

一時皇帝となった時もありましたが、
時代に逆行することにもなるので、
大総統となり、独裁体制となっていきます。

日本は、

一貫してこの袁世凱の軍閥政府を支持していきます。

逆に孫文は、しだいに日本を批判するようになり、
失意のうちに1925年に亡くなります。

ちなみに、孫文と同じ頃日本に亡命していた康有為は、
清朝内での改革を主張し、
清朝を倒そうとする孫文とは、
全く相反する立場であったといいます。

今日も最後までよんでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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