「あさましい」が通用しない世界

 

アヘン戦争後、1842年南京条約により清国は、
厦門、福州、寧波、上海の5港開港、イギリスへの香港島割譲、

さらには、捨てられたアヘンの賠償として
600万ドルほか多額の賠償金をイギリスへ支払いました。

アヘンという文字にするのもはばかられる

麻薬を売ったほかに
捨てたからその損害を払えとは、

日本人であったら絶対いえないことを平然と公然と

いうことの日本語でいうと「あさましさ」。

 

ちなみにこの「あさましい」というのことばも

死語だと思います。

 

おそらく、「あさましい」なんて使わないでしょう。

幼いころ、遊びに来ていた友だちと自分の

コップに入っていたジュースの量をじっと見ていたとき、

 

母親に「あさましい」と

かなりきつくいわれたことがありました。

 

そのとき、たぶん恥ずかしいことと分かったと思います。

ジュースの量が数ミリ上かどうかということです。

 

自分が教師になって給食のおかずの量で

言い争っている子供に

「あさましい」…といってから

「意味が分かるか」とじっと顔を見つめたことがあります。

 

とても理解していると思われないその子供に

一年かけて「あさましい」ことで

わずかな利益を得た気分になるより

 

譲ることでむしろ自分がかんしゃできることを

学んでもらいました。

イギリスの政治家であるグラッドストンが
自国のアヘン輸出を「恥さらし」というのだから
イギリス人にもその良心がある人はいた

ということになります。

日本人にそういう人がいないとはいえないでしょうが

「公然と」というところに

この時代なのか、道徳性なのかを感じてしまいます。

それは、この21世紀になっても
「ずぶとい」神経で「したたか」でなければ
国家の指導者になれなかったり、国際社会で生き残ったり
 

あるいは日本でも

出世したり成功者になったりすることができない
価値観や風潮がないわけではないと感じています。

 

かといって

「受容する器量」や「しなり強さ」は必要です。

 

その上で、高い倫理性や人間的徳によって

相手を心服させることこそ、日本の伝統と思うのですが。

ただ、

実際国際社会では、依然として「ちから」であり「軍事力」
は必要だというのがリアリティだと思います。

それでも日本社会では、歴史的に時代とともに
人間の質は必ずしもいいきれませんが、
公共における倫理や道徳性は研ぎ澄まされてきていると
私は感じています。

 

  アヘン戦争で衝撃を受けたのは…

 

この時代、19世紀においてアヘン戦争の結果、
イギリスのアヘン輸出は増加、
戦争によってイギリスの思惑どおり自由貿易になりました。

にもかかわらず、英国製品は質が劣り売れなかったのです。
 
また、アヘン戦争の影響を強く受けたのは、清ではありません。
日本でした。

幕府はこの情報を得て、

外国船打払令を薪水給与令に変えたのです。

長州藩の高杉晋作もこの情報を得て、
1862年、幕府の船に乗り込んでその実態を確認しています。
 
教科書や授業では

アヘン戦争の影響が巨大だったとなるわけですが、
どうもそれは、日本の方であって

当該国の清は、
必ずしも国として強い影響を受けたと

認識していたわけではありませんでした。
 

厦門、福州、寧波、上海の5港開港、

イギリスへの香港島割譲、
程度くらいにしか感じていない、

つまり何ら影響はないとしか感じていなかった

ようなのです。

 

それは、この後

第二次アヘン戦争といわれる事件が起こったことでもわかります。

 

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

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