5月3日は憲法記念日でした。

 

憲法は英語で「Constitution=体質」だという

ことなのですが、

 

自分には「憲法=Constitution」なんて関係ないと思っても

私たちは、この日本の社会で生まれ育ち

生きています。

 

小さいときから親や学校などさまざまなところで

育てられ、教えられていきます。

 

それは、無意識な段階からであり、

知らず知らずその時代や社会に感化されていきます。

 

教育とは感化であり、

典型的なのは子供は親に似るということです。

 

「今だけ、金だけ、自分だけ」

などということばはありますが、

たぶん、戦前では考えられないでしょう。

 

たとえば

以前取り上げた

第7回「世界価値観調査」というのがあります。

その中に、「もし、戦争になったら自国のために戦うか」

の問いに、「はい」と回答した日本人は13%

世界調査でダントツ最下位でした。

 

これは平和憲法の影響で

それだけ「反戦論者」がいると表した論者がいました。

 

このことを喜ばしいことと受け止めるか

嘆かわしいと受け止めるか

 

いずれ、憲法が国民の生き方に影響を与えている

と言っている例です。

戦後一番大切なものは「命」だと教えられてきた人は

多いはずです。

 

それは「自分の命」だったと思います。

 

では、戦前はどうだったのでしょうか。

一番典型的なのは、「神風特別攻撃隊」

 

私は、20代の前半まで

全くこれが理解できませんでした。

 

今でも、まだその命令が正しかったとは

納得できないところがあります。

 

ただ、正確に言えば

「命令」ではなく「志願」でした。

 

その本当の心は、戦後生まれの私には

わかっていないかも知れません。

 

今いえることは、

20代前半の若者が祖国と同胞のために

命を使ったということです。

 

本当かどうかは別として

皆、国を守る、自分の生き方が日本の再生につながると

志願したということです。

 

その命も、自分のものというより

両親からいただいたもの

あるいは、もっと次元をこえたものから

与えられたもの

という無意識の気持ちがあったと考えられます。

 

今NHKで放映されている朝ドラ「らんまん」

 

滅多に見ないのですが、

家族が見ていたのを見ているうち

自分も引き込まれていきました。

 

例えば、竹雄。

上京することになった万太郎から

これまでの「守り役(世話役)」を解くから

好き(自由)にしていいといわれて

とても困惑するわけです。

 

戦後生まれの私たちには想像つかない。

幼いころから、朝から晩まで

この当時でいえば、わがままな万太郎の世話を

他人の同年代の子供がしていなければいけない。

 

自分の自由や意志などはありません。

ひたすら、尽くす「忠義」だけだと思います。

 

しかし、竹雄にとってはそれが生きがい

なんだと思います。

 

ここに文字にしているうちは、

戦後生まれの私たち多くは

 

「人生はだれのためにあるのか」 と問われれば

 

それは「自分のため」

と答えるのではないでしょうか。

 

しかし、テレビを見ている戦後生まれの我々でも

その竹雄の生き方に何か心を動かされる

のではないでしょうか。

確かにドラマではあります。

 

GHQがなにゆえ大日本帝国憲法を廃止し

新しい憲法を作れと日本に命じたのか。

 

まさに、竹雄のその生き方や家族関係

     日本人の戦い方

 

にあったということです。

 

どういうことなのか、

なぜここでGHQなのか。

 

今日はここまでにさせてください。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

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