気付いている方たちは、たぶん相当数いらっしゃると思います。
今、日本は国難を迎えています。
私一人が何か言ったところで何かかわるわけではないのはわかりますが、気付いていて何もしないのも死語になった言葉ですが、卑怯だと思っています。
卑怯といえば、本名でものをいわないのもそうかなと思いつつ、職業上なにか誰かに影響があってはならないと思い、本名ではありません。匿名で人の悪口だけはいうまいとは思っています。
国難とは、具体的にはいくつかあります。
1995(平成7)年 阪神淡路大震災
2011(平成23)年 東日本大震災
大きな災害はこの2つですが、実は震度7クラスでは、熊本も北海道もと、さらには大雨や土砂災害など頻繁に起こっています。
そして、コロナです。
そして、国際情勢も厳しいものがあります。
こうした自然災害の多くは、人知を尽くしても限界はありますが、例えば幼児虐待や家族に関わる事件については、もっと前にどうにかできなかったものかと心が痛みます。
刑事事件は、統計的には最も少ない時期を迎えているそうです。それでも凄惨な事件が多いように思えるのは、テレビや新聞などで触れる機会が多いからだというのが、ある識者の意見でした。本当にそうでしょうか。
歴史的に国が滅ぶ時は、間違いなく自滅です。外敵によるように思いますが、それはとどめを刺しているに過ぎません。
ローマ帝国などは、典型的な例です。ゲルマン民族による崩壊のようですが、実はその前に内部崩壊しているわけです。
ローマ市民も日本国民も、自分の人生があると同時に社会の一員でもあるわけです。その社会の一員である責任を忘れて、私的なことのみに走る人が多くなれば、必ず価値感がぶつかるようになり、社会は荒廃します。
今日本は、国の土台である「私」を支える「家族」に危機があるのではと、恐れています。
家庭は、たぶん国の基本でしょう。一番わかりやすいのは、温かい愛情のある家庭で育った子どもは、他人の気持ちにも敏感で簡単にいえばしっかりしています。
子どもが悪いわけではないのです。明らかにわれわれ大人や社会のどこかに問題があるわけです。
退職して数年たち、いわば臨時の講師を続けていますが、この立場でできることは、かなり限られており、正直現役の時よりかなり精神的に苦痛になってきました。
負けないように、あいさつをしたり、不機嫌にならないようにひきつっても笑顔をつくったりしています。
もちろん、できることしかできないことはわかっていますが。
前回予告したこととは、内容がズレてしまいました。
ただ、
今日本がもっているのは、志のある人たちが見えないところでそうとう踏ん張っているからだと思っています。
仏教でいえば「陰徳」を積む人たちです。
私に今できることは、講師の仕事に全力を尽くすこと、毎日の生活で少しでも善をつくすことです。そうすることで、またそうしたわずかなことが、他人の荒廃した気持ちを和らげ、それが正の連鎖となることを祈っています。
教も最後まで読んで、いただきありがとうございました。
穏やかな家庭と穏やかな毎日こそ、幸福な人生をつくります。
ちょっとでも、笑顔になる方が増えることを心から祈っています。