みんなつながっている
最近特に,「みんなつながってる」
と、そんなことを考えています。このブログの中でも毎回のテーマの視点や分野は異なるけれど、メッセージとしてはほとんどそういうことをいいたいがために、書いているといってもよいと思います。
もともと、何かを書いたり言ったりすることは、池に石を投げるようなものといったのは、出口治明先生でした。
職業柄、こうしたブログを発信することを多くは嫌います。何もリスクを冒して発信することはないだろう、やめたほうがいいと思っている同業者はいると思います。
もちろん、他人の迷惑にはならないよう、細心の注意、何度も読み返し、
考え、そして発信します。
しかし、たいした力にはならないかもしれませんが、今の日本は危険の域に入っていると自分は思っている一人です。何が危険かというと、はっきりいうと国の衰退、もしかすれば相当厳しいところまでおちていくかもしれない、と心配しています。
何で心配しているかと言えば、自分の子どもの世代の時代になるからです。
歴史上、国家が滅亡する場合は、自滅です。例えば、ローマ帝国はゲルマン人の移動が原因のような書き方もありますが、そうではなくて、ローマ人がローマ人のプライドを失い、いわゆるパンとサーカスしか求めなくなったからです。
簡単にいうと自分の快楽のみしか考えなくなったところにたまたま外からの侵入があったということです。20世紀になっても国が滅んだ例は社会主義諸国が典型的です。
今多くの国は,「国民国家」で、国民国家」とは、自分と国家が同一であると考えることのできる国家です。
歴史上最初の国民国家となったフランスでは、ナポレオン軍である市民に向かっていったことは、自分と家族を守ることが国を守ることだということで、その意識は、当時の他国である王政下の金で雇われた傭兵軍を圧倒しました。
今、日本には、「今だけ、自分だけ」のような事件が増えているようで恐ろしいのです。犯罪件数は、かつてないほど減少しているというのが、統計上の結果です。
でも、そう思えないと感じるのです。それはテレビの見過ぎという見方もありますが、感覚としてはどうでしょう。私にはその統計と大きなズレを感じます。
少なくとも今自分がここにいるのも、家族や仕事、食べ物や衣服、家などをつくったり供給している人たち、医療関係者、ものによっては海外の人たちがつくったもの、心を支える本や関わっている人たちなどのおかげです。
家庭菜園をやっている自分が小さいながら畑で野菜を収穫できるのも、その道具をつくった人たちや畑にいるミミズのおかげでもあります。
当たり前のことですが、わすれてはいけないのが、
やっぱり「ありがとうございます。」です。
そして、自分でできることをすこしでも他人の役に立つために尽くすことで、幸せな気分になれます。
自分や一人ができることはわずかですが、それができてつながっていけば、大きな何かを動かす力になることを信じて、いつまでできるかわかりませんが、このブログを書いていきます。
日本と日本人には、底力があります。「こころざし」のある人たちが少しでもつながり、その和と輪が広がることを期待しています。
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。