個性大事!? 秩序大事!?
幸せになるための究極の選択8
私のブログを開いていただき、ありがとうございます。
この二つは、前回の長所を伸ばすと短所を克服すると
どっちが大切かにつながるところがあります。
そういう意味では、ときどき、画一教育では個性はつぶれてしまう
ということを耳にします。
今の学校教育だけではなく、日本の社会でも空気は読まなくてはいけないので、アメリカの方が自分に合っているという方もおられます。
それはそれでよいならば、特に問題はないと思いますが、
失礼ながら「個性」を執拗に持ち出す保護者は、そういういい方をする傾向はありました。
この子は違うんです、と。
しかし、たぶん普通は、何も無理難題、理不尽なことを要求している学校はないと思います。
遅刻をしないこと、ふんぞり返ったり、ほおづけをつきながら話を聞かないこと、などなど、社会で必要なルールやマナーを守ることがあなたの将来に必ず役立ちますよ、ということを真剣に言ってくれていると思います。
前回で触れた、生徒一人一人の思考回路は皆異なり、それを一人の教師が指導するにはかなり厳しいということとは、全く別の問題です。
逆にこうした指導方法で自分の個性がつぶれるという苦情は、一度も受けたことはありません。
繰り返しになりますが、個性は人間社会の秩序の上に生かされて
個性です。
偉人である野口英世氏は、浪費癖があり、支援してくれた方のお金を何度も、最後には留学のための費用全てを飲み食いなどに使ってしまいます。それでもその方は支援し、やっと改心した野口英世氏は、誰もが認める世界的業績を上げることができました。たぶん、この支援者がそっぽを向いた段階で彼の業績はなかったかもしれません。
養老孟司先生が、「『自分』の壁(新潮新書)」で述べられています。
最も大切なことは,自分と世界は繋がっている。自分と地球は連続しているということである。したがって,自分だけがよければいいということは,当然自分を苦しめることになる。個性が大事だといい,好きなことをつづければ,よい人生を歩めると思っていればそれば大きな間違いだ。
例えば、命は自分のものだと思うから粗末にする。
それは、与えられたものだといいます。
生命学者の村上和雄先生もいわれていました。
心臓は、だれが動かしているんだい。少なくともあなたの意志ではないでしょう。」村上先生はそれをsomething greatと呼んでいます。
養老先生の同著によると
脳は楽をしたいと考えるといいます。そして楽をすると実際に困難な問題に当たった時に,その先に進めなくなるということです。
実際,人生は問題山積みで、そして答えはありません。養老先生は若い時にそれを知っており,楽そうな文系ではなく理系を選んだということです。
医師ではなく解剖学を選んだ時もそうだというのです。
解剖学で飯が食えない可能性もあったから選んだというのです。そうやって困難を正面で捉えて自分なりの解決をしていく中で,「自分探し」ではなく,「自信」がでてくるというのです。
言葉ではなく,現実を見よということです。五感を通して自分で体験し,考え一つ一つ答えを自分なりに出していくことが生きることであり、
そうすることでしか,生きてはいけないということかもしれません。
極めて仏教的で、キーワードは
「他人のために働く」
「状況を背負い込む」 ことだということにでもなるでしょうか。
結論をいえば、皆と同じようなことをしていても個性はなくなりはしないということです。
ルールを守ってマナーやエチケットを身に付け、自分は周りから助けられているなあということがわかってきたら、個性は発揮せざるを得なくなります。そういう気持ちになるのが、普通だと思います。
自分でそれが皆のためになると考えて行動していけば、それが磨かれることで個性となるはずです。
その人だからできる「かけがえのない思い」です。
レベルは違うにしろ、自分もそういう体験を社会人になってから積むことができました。
辛い思いをしながら何かを成し遂げたとき、
そこからしか見えない風景があります。
それは、その人にしか見えないものです。
次世代を継ぐ皆さんが読んでくださっていれば、
決して楽な道を進むことをお薦めしません。
そういうと、中にはそうやってうまくなかったらどうしくれる、といったことをいう方がいました。
決定するのは、自分です。自分でそう思ったら実行したらよいと思います。
ですから、生きることは「選択」なんです。
当たり前の話ですが、失敗を他人や周りのせいにしているうちは、
運は巡ってきません。幸せにはなれません。
生徒や保護者に申し上げてきたことは、自分は可能な限りの情報をお伝えするのであって、やるのは本人です。ということです。
その本人がホンキになって初めてできることです。
今日も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。