『つぼみ 「万葉集ゆかりの渡来人』
64人の万葉歌人のふたりめは、額田王(ぬかたのおおきみ)です。
熱田津(にきたつ)に 船乗りせむと 月待てば
潮(しほ)もかなひぬ 今は 漕ぎ出でな
熱田津に船出をしようとして月がいい日を待っていた。さあ潮流もちょうどよくなった。今こそ漕ぎ出そうよ。早く百済を助けに行こうよ。
初期万葉集の代表的な歌人で百済系と思われる。新しい大陸文化の影響で誕生した日本の文雅の世界を開拓した先駆的な存在として知られる。天智天皇と天武天皇の間での三角関係でもわかるように、優れた美貌と学識、知識を兼ね備えた最高の女流歌人であったと推測される。
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大和朝廷と兄弟国だった百済が新羅と唐の連合軍によって600年に滅亡し、援軍を要請するようになる。斉明7年(661年)に百済救援軍が構成され、伊予の熱田津(松山市)に2ヶ月も泊まった時の歌である。額田の母国である百済を思う心、2ヶ月間も熱田津に碇泊し、一刻も早く出航して百済を助けたかった作者のあせりまでが読みとれる。・・・作者のあせりと祖国を助けたい思いからは渡来人の深い心が感じられる。
一説には、斉明天皇の作とも言われるようですが、どちらにしても二人とも、思いは同じだったでしょう。
斉明天皇は60歳を過ぎていた女性で、天皇という立場を考えると、母は宮で留守を守り、息子たちを送り出すのが普通だと思います。
しかし、共に船出して、九州の朝倉宮までたどり着きましたが、そこで病気のために亡くなってしまいました。
斉明天皇にとっても、百済は祖国だったのではないでしょうか。
祖国の人々がいったいどんな残酷な目に遭わされているのか・・・
王さまは?太子は?娘たちは・・・?それを思うと胸がつぶれそうで、あぁ、早く、助けなくては・・・!
焦る思いばかりが募るふた月・・・
そしてやっと潮目が変わった!待ちに待った瞬間だったのでしょう。
国を失うことの悲惨さが、この歌だけでも伝わりますね。
ウイグル人の悲惨さが、日本も他人事ではないという恐怖がある今、想像力をもって、額田王の心境に迫る必要があるような気がしますが、日本人を助けに来てくれる国はどこでしょう?
本の挿絵の額田王の美しさ(お見せできないのが残念です)とのギャップが大きすぎますが・・・↓
お時間がよろしければ、ご覧になってみてください。
コロナは革命のためのプランデミック?!






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