昨日、お茶の先生と、生徒のお姉さまたちと、日本料理 大屋さんで、ランチをしてきました。コロナ発症と無症状陽性の、若いお二人は欠席で残念でしたが。
 
お食事は、お値段以上の、美味し~い和食のコース料理で、食べて笑って免疫アップしてきました。
 
 
何かの話題の時に、チャンス!と思って、
「参政党をご存知ですか?」
と聞いてみたら、皆さん、聞いたことないなぁ、というお顔。
 
「神谷宗幣さんが、投票したい党が無いから、0から作った!」という新しい政党で、
党員が勉強して政策を考えるんですって。
 1:教育
 2:食と健康
 3:国の守り
を掲げているんですよ。」
 
「言うだけなら、どこもええこと言うからなぁ・・・」
「まぁ・・・、そうですよね・・・。でも、既存の政党じゃぁ、国の感染症対策は失敗だったでしょ?!」
 
というと、意外にも、「そうかなぁ」という空気。
たぶん、いつもテレビを見ている人は、政府は頑張ってるけど、
パンデミックやから、仕方ないやろ、という感じでしょうか。
 
楽しい食事の席でしたから、「だって、例年よりも10万人も多く亡くなっているんですよ!」などとはやめておきましたが、、、
 
 
参政党を立ち上げたのは神谷 宗幣さんです。
 
私が、神谷 宗幣さんを初めて知ったのは、コロナ以前の頃YouTubeの『CGSイシキカイカク大学』というチャンネルでした。
 
歴史の動画はたくさんありますが、
私が、このブログに書いていたことに通じていて、特に嬉しかったのは、次のお話です。
 
 

『じっくり学ぼう!韓国・朝鮮史』

講師 宇山卓栄先生

 

 

「韓国はかつて日本の一部だった!?」

仁徳天皇陵の古墳を訪れると、地元のボランティアガイドの方の説明は、

「この後円墳は朝鮮半島から日本に伝わった建造物です」

 

えーっ?! え?!え?!え?!え?! 爆  笑

 

「どうしてですか?」と聞くと

「私たちはそのように昔から教えられていますよ。」と答えます。

確かに学校教育では、渡来人から、仏教から何から何まで全部伝えられた、

渡来人こそが文明が高度な地位にあって、日本人が低いと私たちの世代でも

そういうふうに教えられてきましたよね。

 

確かに、そうでした。

 

日本の学校教育に大いに責任があると思いますねえ。

 

 
 

 

 

 

「『日本』の国号はどのように誕生したのか?」

あの白村江の戦いというのは負けるべくして負けた戦いなんです。唐軍が13万に対して日本軍が4万7千しかなかったわけなんです。これに新羅軍は5万が加わりますから、総勢敵陣は18万の軍団がいるわけです。

 

当然、勝てるわけがないです。

 

日本の総人口を考えれば総力戦でした。

なぜこのような無謀な戦いに挑んだのかが問題です。

 

百済が滅ぼされたということが日本にとっては他人事ではなかったのです。

百済というのは当時日本の一部と言っていいと思います。その日本の領土が

他国によって滅ぼされ、侵害された、これは許されない、いわゆる国辱という意識があったと思います。

 

天皇自らが外征に立ち会っているのです。

それほど百済を滅ぼされたのは、日本にとって大きな国辱であったのです。

 

そして残念ながら日本が負けてしまいました。

 

白村江で負けたことの影響をしっかり考えなくてはいけません。

国内が一致結束していった効果があったのです。

 天智天皇が即位します。

それまで日本は朝鮮半島と一体という意識があった。

ところが白村江の戦いで負けたことで朝鮮半島との接合性を失ってしまって今日の日本列島という枠の意識ができまして、ここから日本の国家意識が本格的に芽生え始めたということが言えます。

 

国防軍の設置も白村江の戦いの後です。

 

僕は見に行っているわけです。

断崖絶壁に城を造っているんです。

最前線を九州の水城に持ってきて、のろしなどで、近江の都まで伝達できるように山城を築いていって、情報網を作ったり・・・

 

たぶん唐は来る計画をしてたと思います。

 

 

日本人の国防意識に、大きな意義があった戦いだった、

これをちゃんと学校で教えるべきだと思うんですけども。

 

それまでなんとなく朝鮮半島を含めて日本という感覚だったと思うんですけれども、しっかり海を隔てて、日本を意識し始めた。

 

日本という国号ができたのもちょうどこの頃でした、

「倭」 従順、付き従う者、奴隷 

   ↓

 「和」「大和」 

 やまと

 

本居宣長は、天智天皇の頃にはもう「日本」という国号があった、と指摘しているんです。

《日本の国号の由来》

 

百済をどうとらえるか、で当時の人の意識が分かってくる。

百済をただ単に別の国で、滅んだから、可哀想だから助けてあげましたじゃなくて、そもそも自分たちのエリア、領土が完全に奪われてしまったので次はもう本当に九州にやって来るかもしれない。国防しないといけない。国防するためにはひとつにまとまらないといけないから自分たちのアイデンティティを確認するために漢字を変え、呼び方を変え、そして実際に軍事体制を整えていき、その後、天智天皇から天武天皇に変わりますけれど、いろんなものを取り入れて、唐に負けないように大宝律令をつくったりいろんな物を作っていったということですから、やっぱり、百済が自国領であった、だからそれを取られたことにものすごい危機感を当時の人たちは持って、総力をかけて戦い、敗れ、いろんな改革を行ってすごいドラマティックな時代だった。

それって、明治維新かそれ以上の何か大きなストーリーがここにあるように思うんですけど、そういうことを教えてないんですよ。

本当に、日本の教育はいったいどうなってるんでしょうかね。

 

いかにこの島を守ってきたかということだけでもですね、きちっと教えておくと今のその我々のその国家意識、帰属意識が変わってくると思うんですけれど、それだと思います、それをやっぱり戦後、教えなくなったんでしょうね。

 

残念なことですね。

 

特に歴史教育は中核になる非常に大切な部分ですから、しっかりと正していただきたいと思います。

「日本」がなぜ、どのようにして始まったのかを、教育することって、アイデンティティや国防のために本当に大切だと思います。

 

それに、今、思いましたが、コロナ、ワクチン、マスクの問題を見ると、戦後教育が、まさに、

日本人を"従順に付き従う倭人"にしてしまった気がします。

ウイルスを簡単に通してしまって意味の無いマスクさえ、炎天下でも、「はずしなさい」と誰かに言われないと自分でははずせない国民なんですからショボーン

 

教育を変えないと・・・汗

 

 

教育をCHANGE!神谷宗幣と木村まさ子さんが「教育」について語る!どのように子育てをしたのか!【DIY cafe 木村まさ子】#037 

  

 

 

 

ところで、神谷さんは福井県のご出身ですよ。

508年に、今の福井県から招かれて即位したオヲド大王(継体天皇)のように、国つくりの新時代を築く画期的な人になってくれるでしょうか・・・おねがい

 

 

お読みいただいて、ありがとうございました。