前回の続きです。
蘇我入鹿の最期を目の当たりにして、古人大兄皇子が慌てて自分の館に帰り、「韓人が入鹿を殺した。私は、心が痛い」と言ったことが日本書紀に残されていることを書きました。
私はこのところ、 三浦春馬さんのドラマの冒頭、布団の場面を見て、心痛む日々を過ごしております。
最悪の想像は想像だとしても、彼の最期を連想をさせるような場面をテレビで放送していいのでしょうか?!
BPOが機能してくれることを祈ります!
警察に真相を捜査して欲しいです!
前回、愛国心のカリスマ、と書きましたが、今風に言うと、インフルエンサーですね。
敵わない相手は暴力的に黙らせるなんて、、、
今は飛鳥時代ではありません。令和の時代です。◯国でもありません。ここは日本です。
暴力で言論や思想を封鎖する犯罪は、法のもとに裁かれなくては!
民主主義には、高齢者の情報リテラシーが大切。
80代の母や、叔母ふたりに、「テレビ」に騙されないで、あんまり見ないでと言っています。
私が、ブログを再開した頃、芸能人が政権批判をしはじめて、日本の危機を感じました。
日本古代史を通じて、大きな視点で、国家観を持ちたい、日本人のアイデンティティを感じたい、そういうことを伝えたい、と思いました。
その頃感じた危機感が三浦春馬さんの死に繋がっているのでしょうか?! そんなこと、夢にも思っていませんでしたが、、、。





気を取り直して

奈良のプチ旅の話をします。
「飛鳥水落遺跡」です。
中大兄皇子がつくった、漏刻、水時計の仕組みを詳しく解説してくれています。
時を支配することが、民を支配すること。漏刻は支配のための重要アイテム。
外のベンチで、ちょっと休憩。
日本書紀は「斉明天皇と間人皇女を合葬した墓の前に大田皇女を葬った」と記しており、その記述と一致する発見があったことになりました。
偶然発見されたことを、職員のおじさんが、説明してくれました。
写真オーケーと言われたので、いっぱい撮りました。
次回に続きます。
お読みいただいて、ありがとうございました
