右手は清掃工場です。
クンクンクンクン🎵
犬にとって、臭いは大切な情報。
あんたどこから来たの?
クンクン🎵
わかったわ
遊ぼうー


ところで、
メディアでは、情報戦が繰り広げられています。
フェイクニュースに騙されないようにしないといけません。テレビでの印象操作には、多くの日本人が知らず知らずのうちに染まり、、、。
SNSも支持率も操作されているのが発覚しています。日本の政治を日本人じゃない人が誘導しようとしています。
日本は、だんだんじわじわと、知らないうちに日本人のものではなくなって、いくんじゃないかなー、と最近思います。
天皇家は続くでしょうか?
もしも、、、
将来の日本人が、「少数民族ヤマト居住区」と、柵に囲まれて住まわされたら、申し訳ないですね
私が中学生の時、国語の先生がそう言いました。
「少数民族になるとそうなるのよ」と。
私はまだ子供だったし、
「あぁ、戦争を経験した人は、そんな恐怖を感じていたのかなぁ」とか、それとも、「南アフリカのことかな」と思いましたが、
その時、初めて、「国」と「民族」って、そういうものなんだ
、と知ったし、
「ヤマト民族居住区」は衝撃的で、よく覚えています。
ウイグル人のこと、心配です、、
日本って、歴史が古過ぎて、古代史には謎が多いです。
それでも、憲法改正や皇室典範のことを国民が考える時、大切なことかもしれません。
とは言っても、私は、日本の始まりや百済について興味がある人には、殆ど出会ったことがありません。
そんな方に、面白く興味を持っていただけるといいなーと思っているのですが、、、
私には、ザッくりしか言えませんので、、、、今日も、大ざっぱな、おしゃべり古代史
です。
もちろん、緻密な研究をしておられる方に感謝して、私の理解できる範囲で参考にさせていただいて、、、。
702年の遣唐使が、初めて「日本」を唐に伝えたそうです。
唐の役人は、「倭」と「日本」は別だろうと思っていて、
「日本国は倭国の別種なり。その国、日辺にあるを以て、故に日本を以て名と為す」
「倭国自らその名の雅ならざるをにくみ、改めて日本と為す」
「日本は旧(もと)小国、倭国の地を併(あわ)す」と記録したそうです。
これは、唐の役人が困っていろいろ憶測したとみられるそうです。
「なぜ日本国の使者は、これまで中国と外交のあった『倭国』との関係について、明快に説明できなかったのだろうか」と吉田孝氏は書いておられます。
唐に対して
「いやぁ、我々は、この前の戦いであなた方に滅ぼされた百済なんです。
実は、百済と倭国は、王家が親戚で、ひとつの国でした。半島の百済の土地は奪われましたが、これからは島だけで、日本という名前にして生き延びることにしました」
とは、言いにくいですよね。
滅ぼしたはずの百済が生き延びるのを、唐が許すかどうかは分かりませんから。
もし、許されなかったら、攻めて来られたかもしれません。
「白村江の戦い」の後、唐の船団が、大宰府に何度も来たという記録が残っていて、戦後処理のためだった、というのが通説ですが、半端な数の有り合わせのようなお土産を渡しているので、慌てて帰ってもらったようである、と言う人もいます。これは賄賂だったのかもしれません。
何とかごまかすことに成功して、大津に逃げた王子は、唐の使者と会わずに済み、事なきを得たのかもしれません。怪しいなー、と薄々は気づかれていたかもしれませんが、賄賂を渡したので
藤原不比等が亡くなった720年に、日本書紀は完成しました。漢文なので、唐に向けて書かれたものと言われています。
「日本は、神武天皇以来、先祖代々ずーっと天皇家が治めている国なんです!!」
と、唐に宣言するのが、この歴史書の一番の目的だったのでしょうか?
702年の遣唐使再開の翌年に、持統天皇は天に召されていました。
当時は画期的だった火葬をして、その煙は天に昇っていったのでした。
その後は、月に暮らして、
地上の唐に、
日本に来ないでよ!!
と、
睨みをきかせておられたでしょうか?
いかがでしょうか?
唐がどんどん拡大していたあの頃、
日本が、唐になっていなくて本当に良かったです。
日本が日本で良かったー
感謝
お付き合いくださいまして、ありがとうございました🍀





