最近の古代史研究では、蘇我氏のことが見直されているようです。
最近って言っても、いつからかわかりませんけれど、私は、20年近く前、日本古代史の扉を開いた時、思いました。うーん、蘇我氏は本当に悪者なのかな?と。
天皇家に取って代わろうとした大悪人なのが常識になっているのは、学校の教科書でそう教わったからかな、と、、、。
中大兄皇子は、蘇我氏を倒した後、
①叔父の天皇のもと、難波を整備した後、母親の天皇もと、倭国の防衛のための工事をして、外敵の侵略に備えました。九州の半島の対岸には水城を造りました。それは、まるで逃げて来た人々を迎え入れる構造のようでもあるとも言われます。
②百済が滅んだら、復興の戦争に出かけました。唐を相手に勝ち目のない無謀な戦でした。
③百済の王族・貴族を大勢救出して帰り、近江に住まわせました。
④旧百済人官僚を集めて、近江大津京を建てて天皇になりました。

中大兄皇子が蘇我氏を滅ぼしてやりたかったこととは、これらのことではなかったでしょうか?

蘇我氏に悪人のレッテルが貼られたのは、百済人を救いたかった中大兄皇子にとって悪人だっただけで、外交についての考えが違ったからでしょうか?

ところで、安倍総理は悪人でしょうか?