京都府八幡市美桜の「さくら公園」です。

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🌸桜の花の下で、女性天皇について考えてみます。

まず、天皇ではないのですが、神功皇后から。

便利なので、Wikipediaを参考にしてみますね。

「仲哀天皇2年、1月に立后。天皇の熊襲征伐に随伴する。仲哀天皇9年2月の天皇崩御に際して遺志を継ぎ、3月に熊襲征伐を達成する。同年10月、海を越えて新羅へ攻め込み百済、高麗をも服属させる(三韓征伐)。12月、天皇の遺児である誉田別尊を出産。翌年、誉田別尊の異母兄である香坂皇子、忍熊皇子を退けて帰国。摂政となり誉田別尊を太子とした。誉田別尊が即位するまで政事を執り行い聖母(しょうも)とも呼ばれる。一部の史書では第15代天皇で初の女帝とされている。摂政69年目に崩御。」

天皇が崩御した時、神功皇后は懐妊していて、「胎中の皇子は既に天皇であらせられる!」とおっしゃいました。7年間子供ができなかったのに、どうして天皇が急死する寸前に妊娠することができたのでしょうか?!
そして新羅征伐に向かいました。石を腰に巻き付けて戦い、普通より遅い出産をなさいました。

古事記では、神功皇后と建内宿禰しかいない暗闇で仲哀天皇は突然、亡くなりました。皇后は疑われても仕方ないこの状況で、自分の命を守るために、「皇子を妊娠している」と仰るのは、まるで海外のテレビの歴史ドラマのようです。
日本書紀には、天皇は「戦いで敵の矢に当たって亡くなった」と書いていますが、唐に見せる正史には、古事記のこんな怪しい話は載せられなかったのでしょうか?

神功皇后は、その後、前の夫人の皇子たちを征伐しています。
世継ぎの皇子を守るため、他の女の産んだ皇子には消えてもらう、というのは、未亡人になったお妃様が考えそうなことですし、王家の習わしのようでもあります。

「オスマン帝国外伝」の皇太子の母マヒデブラン妃も、皇帝がまだ意識不明の段階で、正室と皇子たちを殺す企てをしようとしました。史実をもとにしたフィクションのドラマの話ですけれど。

ロシアの女帝のドラマ「エカテリーナ」でも、エカテリーナ妃はずっと妊娠しなくて、姑である女帝(この人も愛人をつくって妊娠しようと苦労しましたが、できなくて正統性のある甥を養子にしました)の指示もあり、国のため、自分を守るために愛人をつくってまで、妊娠、出産する必要がありました。エカテリーナ妃は、クーデターに成功してやがて大帝を称して、父親がはっきりしない秘密がありながらも長男を後継者に決めたら、次男を追放しました。これも、史実をもとにしたテレビドラマで観た話ですけれど。

こうしてみると、私の妄想ファンタジーにも、同じような要素が入っていることに気付きます。

古事記の、神功皇后の話も、伝説をもとにしたフィクションのファンタジーだったのでしょうか?

ただ、私の素人の考えなどどうでもいいようなものですけれど、
私は、天皇家は万世一系じゃないんじゃないの?とは言っていません。私なりのストーリーで二千年の天皇家の血筋は信じていますよウインク
証明などできないので、宗教的な妄想かもしれませんけれど。
 

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