ダイエットや血糖値を意識して、夕食では、お米のご飯を食べないことにして一年ほどになります。でも、おかずだけでは、ちょっと食べにくいものです。そこで、どうしても、お酒を少々いただくことになります。
ほぼ毎日のように、鍋をつついて、夫とビールで乾杯して、日本酒を少しずつラブラブです。食べ過ぎては意味がないのですけれど、鍋なら野菜をたくさん食べられますので、まぁたぶん、大丈夫、と。
やっぱり、お酒は食事を美味しく楽しくしてくれますね。

日本酒は、Wikipediaによると、

『古事記』に、応神天皇(『新撰姓氏録』によれば仁徳天皇)の御世に来朝した百済人の須須許里(すすこり)が大御酒(おおみき)を醸造して天皇に献上した、
という記述があるそうです。百済からなら、それは麹によるものだろう、と。

しかし、

朝鮮半島経由で麹による酒造法が伝えられたのであれば、それは当然麦麹であったはずで、日本にマッコリのような麦麹を用いた酒が存在した記録がない以上、朝鮮半島起源説は成り立たない。

ということだそうです。

お酒の話から入りましたが、私は、いつも
古代の歴史について、
「朝鮮半島から」文化が入ってきた、というのを見るたびに、違和感があります。つい先日の新聞のコラムでも、最近の日韓の問題を鑑みて、「古代は朝鮮半島から先進の文化を教えてもらったのだから~」というような記事を読みました。

思うんですけれど、朝鮮半島は地理的な名称ですよね。古代、そこには、高句麗、百済、新羅、加羅、など諸国があって、それぞれの文化がありました。

私は、当、拙ブログに、百済と日本の物語を書きました。「日本国誕生の物語」という、仰々しい書庫名ですけれど、
倭と呼ばれていた国がどういうわけで日本と名乗るようになったのかなー?
と知りたくて書いてみたファンタジーです。もし、読んでいただくと、私の気持ちはわかっていただけると思います。
私たちの国は、古代、主に百済から文化や仏教が伝えられたようです。百済は倭国に引っ越してきて、「日本」が建国されたのではないでしょうか?とは言っても、もともと、古くから倭の大王家は百済王家とは繋がっていたので、新王朝とか、征服ではなかったと、私は思っています。

デリケートな問題ではありますが滝汗「日本には、古代は朝鮮半島の方が進んでいた、というコンプレックスがある」と言われますと、確かに、教科書にも、新聞にも、遺跡の案内にも、「朝鮮半島から」と何でもかんでも書いてあるんです。でも、それは、地理的な半島の名称なので、ちょっと違うかなー?と感じます。

お酒の話に戻りますと、要するに酒作りの技術も、
「百済」から伝わったけれど、「朝鮮半島から」ではない、ということのようです。

こういうことを理解していただけると、日本への意識が少しでも変わって、仲良くなれるんじゃないかなー?・・・なんて、簡単なことではないですね。

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