「そんな折、高句麗国も、同盟のために倭国に夫人を送ってきました」
 
(そうか・・・、推古天皇の次は、豪族たちが話し合って受け入れることを決めた田村皇子つまり舒明天皇ね。居たたまれなくなって遂に倭国に乗り込んで来た百済王が、倭国で
「天皇」と称して、そこに百済の夫人と、高句麗の夫人が嫁に来たのね。両国は倭国の地で婚姻によって同盟を結んでいたんだわ・・・)
 
「嫁いできた高句麗王子の夫人がまもなくお産みになった皇子は、実のところ、どちらの王の子か、はっきりしないとの噂がございましたのは、上皇様が良くご存知のとおりです」
「ああ、吉野でその話をしたのう、そやから大海人のことはあまり書記に詳しゅう書かんでもええ、というたな。お祖父様が、息子の大海人を遠ざけるようにしておられたのは、その曖昧さ故かもしれぬ。百済から来たお祖母さまと、父上と百済川のそばの百済宮や百済寺でお暮しやった。お祖父様のお心は複雑であったのであろう。それは、大海人とて同じやった」
この、乙巳の変を挟んで即位しておられた、お二人は同じ人物としておきます。二人の女王のそれぞれの夫の、高句麗王と百済王のことを一人の『高向王』とします」
「高・向・王・・・。ほう」
「高句麗と百済の頭の字を合わせて「高百」にして、百の字の一を取り、少し形を変えれば「向」の字になります。これで「高向」となります。ちなみに母君の名は宝皇女』としております。元の夫の高句麗王子の宝蔵王の名から『宝』の字をとってつけております」
「ふむ、なるほど。これも謎かけか」
「まぁ、そのようなところでございます。明けても暮れても大和言葉を表す漢字のことばかりを考えておるものですから・・・。日がな一日漢字ばかりにらんでおるうちに、つい、こんなことを考えてしまいます。はっはっは」
「ごくろうさんやのう」
「さて、ここで大事なことは三つあります。
一つは、生前の譲位の前例とすること。つまり、上皇様が、天皇を退位して皇子様へ生前譲位したことの前例にいたします。軽皇子様が正統な天皇であられることの証しとするために、重要でございます」

サララは、大きく頷きながら答えた。

「そうや、まだ若い殿の皇位が皆に認められ、そのお立場が安定することが、これから最も大事や」
「はい、それと、二つめは、重祚の前例でございます。男系で皇統が続いていくために、将来、重祚も必要な時があるかもしれません。皇統を絶やさないため、その時に備えることは、非常に意味があります」
「なるほど、いつものことながら、不比等はよう考えてくれるのやなあ。草壁皇子を一人だけ残して逝ってしもうた。何とも心細いことや。その軽殿に嫁いだそなたの娘、宮子が期待どおり、これから皇子を産んだとしても、何が起こるかわからへん。まだまだ心配や。軽殿に万一のことがあれば幼い皇子を守って皇統をつなげるために、軽殿の母の 
阿陪皇女か、姉の日高皇女かが中継ぎとして皇位につくかもしれぬし、場合によっては、重祚という方法が必要な時もあるかもしれぬ。前の例があるとないとでは周りの応じ方は全く違うてくるから、備えをしておくのは、よい考えや。異を唱える者がおっても、正史にも書いており、前の例がある、と突っぱねることができる」
「はい、そのとおりでございます。そして、もうひとつの理由。もっとも重要なことは、父上と、その母君の出自を明らかにしないことでございます」
「ああ、つまり、元百済の王族であったことを、やな」
「はい。父上は、後見の氏族が、百済系の渡来人、東漢氏(やまとのあやうじ)であったので漢皇子(あやのみこ)と呼ばれておいででした」
「そう言えば、百済の初めの都は『漢城』やったか」
「はい」
「ふむふむ。しかし、それにしても、ここは、唐の国には絶対秘密にせなあかんところやで。東の端まで来たわれらの王朝はもう逃げる土地はない。この先は海の中や。どこまでも攻めて来られたら今度こそ海の藻屑と消えて無くなるのや」
「はい、仰せのとおりでございます。ただ・・・これは大切なことですので、歴史の闇に完全に葬ることなく、その御名は書き遺しておこうと存じます。書紀では、漢皇子の母が、前夫、高向王との間にお産みになられた皇子として、その名を遺しておこうと考えております。
 父上の即位前の諱は、漢皇子とは別人かのように、『中大兄皇子』と記します。古人大兄、大海人皇子様の義兄弟の中でしたので」
「中大兄・・・中・・・。中は中臣の中か、実父と養父の『中』か」
「いえいえ、そのようなつもりはございません。偶然でございます。はっはっは」
「そうか」
それからサララは、念を押すようにして聞いた。
「もう一度聞く。つまり・・・まことはどうであったかと言えば、百済王子の夫人は、百済王との息子、漢皇子を連れて、先に倭国に渡っておった武王に嫁ぎ、高句麗王子の夫人もまた、同じ武王に嫁いで、それから大海人皇子と皇女を産んだのやった。が、このお二人を・・・」
「はい、ひとりの夫人が、前の夫君、・・高向王との間に、漢皇子をお産みになって、その後、天皇に嫁がれた、ということにします。そして、二人の皇子、中大兄皇子と大海人皇子、それから一人の皇女、間人(はしひと)皇女をお産みになられた、とします」
「そうやって、ひとりの妃の話にするのやな。中大兄、大海人、間人が同父母の兄弟妹ということになるな」
「後の世の誰かが、これを読み解けば、この日本書紀という歴史物語の真実が明らかになることでしょう」
「ほう・・・」
「また、ついでに申し上げるなら、別の理由もございます。先ほどお話いたしました新羅の女王の時代に関係がございます。新羅、善徳女王の時に内乱が起きて、その女王が死に、別の真徳女王が立った、というできごとがあったそうでございます。
我が国の歴史の中でも、ちょうどそのように女の天皇の治世に父上が乱を起こしましたが、あくまで、悪人は大臣であった、女帝には落ち度がなく、その後復位した、というお話にしておく方が後世のためによろしいかと」
「そうや。われが生きておるうちに内乱が起きてもならぬし、将来の女の天皇の治世でも同じや。とにかく、男とは女に威張りたがるものや。弱い女を利用したり、倒したりして自分が天皇になる絶好の機会やと企んで身勝手に乱を起こすような輩は必ず現れそうや。初めから手立てを講じておかねばならぬ。謀反の根は元から絶っておこう。女の天皇に代わって天皇になろうと企んだ大臣が、哀れな最期を遂げたように書き遺しておいてもらうのはええことや。女の天皇の重祚とはさらにええことや」
 
明信が画面に現れた。
〈わかってくらはりましたか。ここはちょいとややこしおすなあ〉
 
(う~ん、ちょっと待って・・・。ええっと・・・、
高句麗の宝蔵王夫人と、百済義慈王夫人・・・ということね。この二人を同じ人かのように書いて二回即位したってことにしたのね。そうやって、祖父から祖母、父、夫、自分、孫と続く天皇位を正統化したのね。あぁ、ややこしい話・・・)

小桜は頭を両手で抱えて、髪の毛をくしゅくしゅした。
 
高句麗からお嫁に来たのが『皇極天皇』で、百済からお嫁に来たのが『斉明天皇』なわけね。
道理で『皇極』と『斉明』て、同じ人の名前にしては、このふたつ、全然対になった感じではないし、なんか別人みたいだなって、これも中学生の時に思ったけど、やっぱりね。
でも、この名前、誰がどうやってつけたんだろう)
〈それどすわ。教えたげまひょか〉
(うんうん、教えて)
〈ほな・・・。このように、天皇の漢風謚号を考えたのは奈良時代の淡海三船どす。壬申の乱で敗けた大友皇子の遺したのが葛野王葛野王の孫が淡海三船どす。サララ様は、大友皇子の皇子はどうか殺さんといてください、と天武天皇に頼みはったんえ。やはり、女性にとっては身内の幼い子供の命まで奪うのは忍びのう思いはったんどすなあ。葛野王は生かされて朝廷にも残されました。そして、このことの恩があったからこそ、吉野の盟約の折には、サララ様のために、「皇嗣は神代より、兄弟ではなく親子で継承してきた」と皇太子が草壁皇子に決まるように発言しはったんどす。
そやけど、こうして生き残った葛野王の孫の淡海三船はんは、果たして、どないな心情で歴代天皇の謚号を決めはったんやと思いますか。歴史の真相はすべて知っておいでどした。ほんで、ひいおじいさまの敗戦のために、自分が皇位継承の系統から遠い存在になってはる虚しさと、天皇家と藤原家が権力を握っておることへの反感を込めて、密かに、漢風謚号の中に真相をほのめかしたんどす。
皇極
の『極』は『きわ』を意味していて、皇統の途切れがあって、斉明とは別人であることを暗示しております〉
 
(あ、ねえ、ちょっと思いついたわ)

つづく