<夜明け前に、甘樫の丘に登り、新益宮(あらましのみや)が朝日に照らされる様子を眺めたい、と仰せられて
フヒト様をお誘いになったサララ様は、丘の上から、三山を従えて輝く土地の様子を見渡して、満足そうにしておられます>
明信がにこにこして言った。

「なあ、フヒトや。この京(みやこ)は畝傍(うねび)山、香具(かぐ)山、耳成(みみなし)山の
三山を備える広大な都や。これなら唐も新羅も『日本という国はなんと素晴らしい国なのや・・・』と驚嘆するやろう」
「はあ。仰せのとおりでございましょう」

と答えてから、

「よかった・・・」

こっそり呟いた。

「ん、何か言うたか」
「いえ、何も・・・」

とフヒトが慌てると、サララは京の方を向いたままクスッと笑って

「けれど、フヒトのやることは、われにはすべてお見通しなのや。このように三山がきちんと鎮座ましますのは奇跡や。山まで作ってしまうとは、いかにもフヒトらしいのう」
「えっ、あ、何と申したらよろしいのか、そのう・・・」

と、フヒトは額に、汗を滲ませた

「陛下をごまかそうなどとは、そのようなこと、めっそうもございません。ご説明させていただきます。
畝傍山と三輪山の台地を結ぶ線の上に宮を置くように造らせましたが、三山が、ちょうど良い位置になるよう、耳成山は多少・・・土を盛らせました・・・。そうしたら三山を結ぶ線が畝傍山に向かって美しい三角形を成し、これで、完璧な京ができました。
陛下の、『日本とは、畏れ敬うべき国、簡単に攻め滅ぼせぬ国、と思わせる京を造れ』という
ご命令にお応えするため、より完璧をめざして、ほんの少し・・・その・・・」

と、フヒトが手の甲で冷や汗を、ふきふき答えると

「よい。よい。耳成山などはどう見ても人が造ったようにしか見えぬ整った形の山や。いやいや、これでよいぞ。ご苦労った」

サララは笑った。それから、遠くの空を見上げて続けた。

「そうや・・・。唐は、父上が即位した年に新羅とともに高句麗を攻め滅ぼしたと、高句麗から逃げて来た者らから聞いた。既に東西の突厥も併せており、ますます広大な国になったようや。
これからも一体、いくつの国を併せ呑み込んだら気が済むのやら・・・と恐ろし
白村江の戦いの後、新羅は唐に冊封されて、唐の半島支配のために、利用されておった。新羅を併せるのは、倭国を新羅に滅ぼさせてから、というつもりかもしれぬ・・・恐ろしいことよ・・・と、近江大津宮の頃は、不安でたまらなんだ。
しかし、大海人が即位して三年の頃、唐が西方の吐蕃と戦っておる間に、新羅は、国内に駐留しておった唐の役人や部隊を奇襲して殺したから、半島は新羅が統一したそうや。
それ以来、新羅は唐に謝らされてばかりおるらしいが、小競り合いは続いておるようや。
今のところ新羅は、我が国にとっては、唐に対して盾となる国やから、それなりの付き合いはしていかな仕方ない。新羅にとっても、背後にある我が国は敵にできぬ。
聞くところによれば、唐に連れて行かれておった契丹人や、同じく使役に苦しめられておった
高句麗人が北に逃げて、新しい国を建てる戦いに挑んでおるという。
これから先どうなるか、まだまだわからぬが・・・。
いつまで、半島では戦によって、いくつもの国が興ったり滅んだり・・・を繰り返すのやら・・・。
われは戦が嫌いや。壬申の年の戦いの事は一日たりとも忘れることはない。あんな戦いは二度と起こしてはならぬ。
とは言うても・・・、あれは、われのせいやさかいに、辛いのう。われが、大海人に頼んだからや・・・。
正直言うたら、あれ程酷い戦いになるとは思うておらなんだのや・・・」

サララは震える手で顔を覆った。

「戦の翌日、野も川も、流れた血で真っ赤になって、まだ死に切れずうめき苦しむ者の声があちこちから・・・、
あの惨い光景を、われはこの目で見てしもうた。あれ以来、その報いがあることが恐ろしい。
恐ろしうてたまらぬ。そして今は、われの大事な大事な可愛い孫の軽皇子が、大友皇子と
同じめに遭うのではないか、と恐れ慄く毎日や。軽皇子は殺されてはならぬ。
絶対に攻められてはならぬ」
「はい、わかります、陛下。私は、あの時まだ一三歳の小僧ではございましたが、男でも、
本当に恐ろしゅうございました。あの戦は一生忘れられませぬ。
案ずることはございませぬ。
このような立派な都を見ますれば、唐からも、どの国からも見くびられることはございませぬ。
もう 『倭』 などと見下した呼び方もされぬでしょう」
「ふむ、そなたもそう思うか」

サララは少し勇気づけられた思いがした。

つづく

クローバー何年か前、甘樫丘に登って、藤原京の方を見渡してみたことがあります。
  実際に持統天皇がそうしたことが、あったかなかったかは、知るよしもありませんがショボーン