家族がガンになった時。元気印の母が突然、末期癌を発病しました。 -7ページ目

家族がガンになった時。元気印の母が突然、末期癌を発病しました。

母はガンの病魔におかされるまで、元気そのものでした。毎年、健康保険未使用者で表彰されていました。このプログは、母が突然病に倒れ、、最期を迎えるまでの経過や家族との接し方の一助になればと願い綴りました。

 

ちなみに、私だったら、やっぱり膀胱全摘なら、手術は受けない
この言葉は、小倉キャスターが膀胱がんを発症し、膀胱を全摘出する話を担当医師から告げられ、手術を拒否しておられます。そして、
その小倉氏の選択に対して、ある医師が私見を述べて、最後の文が
この言葉で終わっています。
そこで、今回は、母の時と比較して考えてみたいと思います。
 
 
この医師のプログを見ていると、自分の気持ちを率直に素直に表しておられるので、とても感心しました。
 
 
 
母が癌を発症して、今の状況は「手術以外なし」というような医師からの説明のもと、兄が同意したのですが、私は無言のままでした。なぜって、母が癌になるなんて、まず受け入れられない。いままで、健康保険は使ったことがなかったほど、元気であったから。
そして、本当に「手術以外なし」というのが無理な説明だったから。
手術後、どうなったかは、本人が大変な苦しみと不自由な生活を強いられ、私達家族も余命が短いということで、自宅療養となり、
私が仕事を辞めるはめになり、すべてが壊れていきました。
それでも、そのあと長くいきてくれたら、いろいろな選択肢もあったかもしれません。手術後つげられた言葉が「余命2か月+」。
だったら、結果論から言わしてもらえば、手術はすべきではなく、
緩和治療の方が本人の苦しみやQOL(生活レベル)を落とさず
残された余命を大切にエンジョイできたはず。
 
その辺がまだ、私の気持ちの中で整理できない。母が亡くなるまで出会った医師他、看護師、事務員など、病院関係者の人間性を疑わざる得ない人がいっぱい。倫理観の欠如、この言葉が一番当てはまる。
 
=====インターネットからの抜粋=======
 
 
小倉キャスター、膀胱ガン摘出拒否していた 「男性機能無くなるのは嫌」
 フリーアナウンサーの小倉智昭氏(69)が16日放送のBS朝日「ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~」に出演。今年5月に受けた膀胱ガン手術で、膀胱の全摘出を拒否したことを告白し、現在は点滴による遺伝子治療を受けていることを明かした。

 5月に司会を務めるフジテレビ系「とくダネ!」を1週間休み、内視鏡手術を受けた小倉氏は現在の病状について、「いまでもありますよ、膀胱ガン」と驚きの告白。内視鏡手術の際、担当医とのやりとりとともに経緯を説明した。

 担当医「ちょっとあまり良いがんではない。筋肉の層に入っている浸潤がんが怖いが、膀胱の左半分に浸潤がんがあって、これは膀胱全摘出しましょう」

 小倉氏「ちょっと待ってください。膀胱全摘というと、周りの機能も全部取りますよね?」

 担当医「精巣から前立腺から膀胱の周りの臓器は取ります」

 小倉氏「やっぱり男として、男性機能が無くなるのは嫌だし、膀胱取ってしまったら、尿意も感じないでしょ?」

 担当医「膀胱の代わりにパックを付け、そこに尿道を結びつけて2時間ぐらいで捨ててもらう」

 小倉氏はそれから自身で膀胱ガンについて調べたり、セカンドオピニオンを受けるなどし、結果として「(ガンを)取っていないんです」と説明した。

 現在は「欧米で注目を集めている遺伝子治療っていうのをしたくて、毎週毎週、保険の利かない点滴を打っていて、そっちに賭けようと」と通院治療しているという。効果も見られ、「去年の12月ぐらいに血液が尿に混じるようになって、10カ月ぐらい経つがそこからまるで転移していない」と笑顔も見せた。

 「ガンは死を意識するが、初めて自分が死んだらっていうことを考えた。生活レベルを下げてまで僕はパックは付けたくなかった。これるもんなら来てみろと。まだ、やりたいこと、いっぱいあるんですよ」と前を向いていた。
小倉智昭氏の判断は正しい。そういえば、菅原文太もやはり膀胱がんにかかり、「立小便もできなくなるのなら手術はしない」と手術療法を拒否していた。

菅原文太は亡くなったが、小倉智昭氏は当然、そのことは知った上での決断だったのだろう。

一般の人は不思議なことにあまり気にしないが、がん治療は、治療に伴い、何らかの身体機能が犠牲になることが多い。胃を全摘すれば、まず術前のように食べることは不可能になるし、マイルズ手術という直腸がんの手術を受ければ、肛門を切除するから、一生人工肛門となる(渡哲也はこの選択をした)。喉頭がんで喉頭切除をすれば、少なくとも術前のようにしゃべることはできなくなる。つんくのように、まったく発声ができなくなることも多い。

また不思議なことに、治す医者の側も、あまりこうした身体機能に犠牲には無頓着なことが多い。命さえ助かるのなら、多少の身体機能低下はがまんしなさい、というのが、これまでの日本の外科医の主流だったからである。

欧米は違う。たとえば、直腸がんや前立腺がんの手術をする場合、性機能を残すことはきわめて重要である。日本なら「もういい年なんだから、お○んちん立たなくなっても別にかまわないでしょ。それより長生きしたいでしょ」となるが、欧米はそうではないのだ。

このように、日本の外科医は、患者の身体機能の犠牲にあまりに無頓着なので、小倉智昭氏がこうした状況に一石を投じたことは、私はよいことだと思う。

無論、身体にがんは残る。菅原文太のように、いつかはそれで命を落とすことになる確率は高い。

だが、手術で膀胱全摘をしたからといって、それでがんが完治する保証もない。一番悲惨なのは、根治術を受けて便や尿を本来の場所から出せなくなる不便さ強いられ、かつがん死してしまうことである。私は医師として、そういう患者をこれまで何人も見てきた。

無論、根治術を受けて文字通りがんが根治され、長生きができている人もいる。膀胱がんの場合、血尿が止まらなければ、放置というわけにもいかなくなるかもしれない。

結局、根治術を受けて不便な生活を甘受するか、手術を拒否してがんと共存共栄をしていくかは、小倉氏がそうしたように、本人が決めることなのである。現在の医療では、この選択が事実上医師の手に握られていることに非常に問題がある、と私は思っている。

ちなみに、私だったら、やっぱり膀胱全摘なら、手術は受けない。