怪我をしても不死鳥のごとく何度も立ち上がるイケメン投手リーダー久保純杜(文理3・千葉日大一)君からバトンを受け取りましたディズニーランドにアンダーアーマーのジャージで行く男の内田幸佑(文理3・日大二)です。
彼からは僕の私服についていじられることがよくあります(笑)
おしゃれに興味はそんなにありませんが、彼は先日僕の口から“デニム”という言葉を聞いて感動したそうです。今年は流行やトレンドをしっかりと抑え、私服で彼にぎゃふんと言わせたいと思います。
雑談はさておき、最終学年としての決意表明ということで普段そんなに感情を出したり、物を言うタイプではないので今回は自分の思いというのを自由に書かせていただきたいと思います。文章を書くのは得意ではないので、読みづらい文章ではあると思いますが寛大な心で読んでいただければ幸いです。
まず、自分が準硬式野球を始めた経緯や入部してからをお話ししたいと思います。
自分は高校野球を始めた頃は大学でも硬式で野球をやりたいと思っていました。ですが、高校野球では思うような結果が出ず、自分の能力を客観的に見たときに硬式野球で野球をやれる選手だとは思えませんでした。そんなときに出会ったのが準硬式野球です。もちろん準硬式野球というのはマイナーのスポーツであったため、高校に入るまでは全く知りませんでした。しかし、自分の高校のOBは準硬式野球をやっている方々が多く、弊部や六大学にはたくさんの母校のOBがいらっしゃいました。自分も高校野球を引退したときに高校の監督さんにも勧められましたが、自分のなかでは高校1年の秋頃には大学では準硬式野球をやろうとほぼ決めておりました。現在、自分の代では自分含め5人が準硬式野球で野球を続けており、練習試合で会えたり、かつての仲間と勝負ができるのはとても楽しいです。
自分が入部してからは楽しいことよりも苦しいことの方が圧倒的に多かったと思います。なにより1番苦しかったのは試合に出る機会というのが、とても少なかったことです。自分で言うのは変ですが、中学や高校の時は試合にはちょこちょこ出していただいていたため公式戦のベンチに入れなかったり、練習試合で出たとしても少しだけなど、正直とても苦しかったです。自分の能力不足といってしまえばそれまでですが、どんどん試合に出て結果を出す同期の姿を見て応援する半面、羨んでしまうところもありました。ですが、2年秋頃からちょこちょこ試合に出れるようになるとやっぱり楽しかったので、やはり野球というのは試合に出てなんぼだなと改めて感じました。
長くなってしまいましたが、最終学年の決意表明をしたいと思います。
目標は「日本一」これだけです。ここしか見ていません。個人としての目標ももちろんありますが、ここでは控えさせていただきます。
最上級生として、与えられた役割を全うし「日本一」に貢献したいと思います。
最後は大好きな個性豊かな同期たちとマウンドで集まりたいです。
そして「日本一」という結果で普段からお世話になっている監督・コーチやOB・OGの方々に喜んでいただきたいと思います。
最後にここまで野球を続けてこられたのは紛れもなく両親のおかげです。母は朝、自分よりも早く起きており朝ごはんや昼ごはんも作り置いてくれて、毎朝玄関先まで見送ってくれます。父は自分の野球ができる環境を整えてくれて、休みの日には自分にトスを上げてくれてバッティング練習に付き合ってくれます。野球人生の集大成に両親に少しでも多くプレーをしているところを見せられたらいいと思います。残り半年程、お付き合いください。
長々となってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
次は、「ウエイトやろうかなー」という10文字で周りをザワつかせることできる日大の副主将 半田陸人(法3・佐野日大)くんです。彼が本気でウエイトに取り組んだらどうなることやら。おそらく栃木県の実家まで打球が飛ぶと僕は思っています。
半田くん、ウエイト頑張ろうね。