2003年12月 | こんにちは!加藤早苗です。〜Ameba版〜

こんにちは!加藤早苗です。〜Ameba版〜

インターカルト日本語学校のHP内に掲載しているブログです。
日本語、日本語教師、日本語教育とその周辺について、日々綴ります。

12月26日(金)
 新年の初顔合わせの時に「今年の目標」というのを発表しています。何だか偉そうでイヤだなあと思っているのですが、進むべき、いや進んでほしい方向を、そして、その先に何があるかをきちんと示したいと思って、就任4ヶ月目のお正月から始めました。いつだったかこの欄に、組織の意思決定にはTop down、Bottom up、Middle up downがあると物の本で読んだと書きました。目標の設定もそうであってほしいと思っています。そしてそれに伴う評価もまた同じく…。先日の教師会で、教師の評価についての提案がありました。大学で学生が教師の評価をするというのがニュースになったのは、もう何年も前のこと。他の日本語学校でもすでに行っているところがたくさんあると聞いています。自分では見えない自分に気づく良い機会としてスタートできたらと思います。これは学校の組織にも必要ですね。先取の金曜日に、「おお人事、おお人事」が突然はやって、夕方まで皆でその台詞を言っていました。ご存知ない方のために説明すると、これは上司に恵まれない社員のために新しい職場を見つけてあげますという会社のテレビCMの中の台詞です。昨日の私は予定を一人はみ出して、机の上と中と周りの大掃除を夕方までしていました。心優しい皆は「おお人事」とは言わず、「おお!」と3倍以上の広さになった机の上を見て歓声を上げてくれました。ありがたさを噛みしめながら今年はここまでです。新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。

12月25日(木)
 大大掃除大会の惨敗は私だけで、今日も引き続き机の上の片付けです。根っからの掃除嫌いなので、ただの月の終わりなのに、どうして12月だけ皆で掃除をしなければならないんだろうと思っています。でも決まっていることはした方がいいのだろうと思い、じゃあ、と自分でいろいろ決め手いるうちに、ここ数年にわたり12月31日に大掃除とお節料理作りと、さらに蕎麦(そば)打まですることになってしまいました。3年前の大晦日にそれが泣きたいほどに辛くなったので、蕎麦打ちをゴールデン・ウィークに移動したらずいぶん楽になりました。大掃除とはちょっと違いますが、クリスマスの挨拶も年賀状も、個人的にはしないけれどお中元やお歳暮も、ばかばかしくはあるのですが、大人が社会の中で生きていく上では、しておいた方が楽ということではあります。それに、私にはそれらを“しない”勇気はありませんので。

12月24日(水)
 2003年のクリスマス・イヴ、今日はインターカルト大大掃除大会(だいおおそうじたいかい)です。なんたってやりがいたあるのは、加藤さんの机の上でしょう。
 月曜日に、お世話になっている学校の理事長先生から(!)お歳暮のリンゴが届きました。中に入っていたお手紙によると、その学校の財団名を冠した農園が「◯◯ランド」でとれたものだとか。皆でわいわいリンゴを分け合っている時、「インターカルトランドはいつできるんだ!」と言われました。「・・・ったく、・・・んなもの、できるわけないでしょ!」といいながら、うーん、いつかできたらいいなと思いました。
 土曜日にあった教師会では、Ta室長が、学生たちが犯罪に巻き込まれないためのお話とお願いを先生たちにしました。Ta室長が話しながらした検挙される時のジェスチャーがおかしくて皆で大笑いしてから、はっと「笑う話じゃない」と気づいて顔を元に戻す先生たちの様子が、皆の方を向いて座っている私からはよく見え、それがまたおかしかったです。
 大掃除も、すぐには叶わぬリンゴのなる農園も、犯罪も、暗く受け止めても明るく受け止めても、それはそれ。だったら躍らにゃ損損。明るくまじめに、やるべきことをきちんとやればいいのだと思います。ね、78人の先生たち!・・・では、大掃除に、いざ出陣!

12月19日(金)
 日本語学校も教員養成研究所も、2003年の授業は今日が最後です。窓口の方から「よいお年を!」なんていう声が聞こえてきて、「おお”そうだったか」と改めて今年も押し迫っているんだということに気づきました。日本語学校では、クラス担任の教師と学生一人一人との個別面談をしています。
 「年の瀬に 去りゆく人の餅のほほ 仕度はいかに はつ春の膳」。今朝、満員電車に揺られながら作ってみました。ありがとうを胸に、間もなく終わる今年を思いながら。

12月17日(水)
 「夢中になれるもの、きっと見つかる」「夢があるから何とかなるさ」「夢はでっかく日本一」ー今年も『招福ねこ暦2004』。書くことを思いつかなかったので、カレンダーの10月と7月と1月に書いてあった言葉を抜き書きしました。昨日キンキラキンのクリスマスカードはやめると書きましたが、クリスマスカードは純日本風のがいいんだそうです。受け取った方に「話が違うじゃないか!」と思われないために一応訂正を載せます。難しいですね。

12月16日(火)
 来年のインターカルトのカレンダーは、今年に引き続き「縁起の良い猫」です。去年の秋、突然カレンダーを作ろうということになり、皆でカタログをながめながらやんややんやの大騒ぎだったのですが、台湾人と韓国人のスタッフ、そしてたまたま来ていた台湾事務所のSO小姐が声をそろえて「これ!」と選んだのが、この猫のデザインです。多数を占める日本人たちの意見は分かれましたが、皆一様にいわゆる“日本的な”ものがいいんじゃないかと言いました。猫を選んだ人は0人。でも、迷わず「猫」に決めました。海外の各国で日本語教師をする人たちの間で「日本で作った中級の教材は、日本の古い文化を押し付けるような内容のものが多い」ということが話題になったと昨日聞きました。私たちは知らず知らずのうちに、「外国人とはこういうものが好きなものだ」と勝手に決めてしまっているのかもしれません。今年のクリスマスカードは、キンキラキンの舞妓さんや金閣寺、お相撲さんや赤富士や桜吹雪の模様はやめることにします。

12月15日(月)
 土曜日にあった日本語教師養成講座のフォーラムの会場で、ボランティアで日本語を教えている協会の会長さんと名刺交換したところ、「お宅からはたくさんの学生さんが来てくれてますよ」と言われました。すぐに辞めてしまう学生が多い中、インターカルトの学生たちは継続率が高井そうです。学校の授業が終わってから、または週末にその教室に通っているようです。みんな、がんばっているんだなあと思いました。

12月12日(金)
 今日は、信濃町-学校間を2往復半し、お客さん4人と会い、長い電話を1回して気づいたら7時を過ぎていました。年をとると1年たつのが早くなるとは聞いていましたが、ほんとうにそうです。海外で教師をするために来週旅立つ養成の修了生が「行ってきます!」と挨拶して帰っていきました。一回りも二回りも大きくなってきてくださいね(体が、じゃなくて)。若い人たちが活躍している(活躍しようとしている)のを見るにつけ、頼もしいなあと思います。皆にたくさんのチャンスを提供できたらと思っています。そして若い人たちには、チャンスが目の前にぶらさがったら迷わずつかんでほしいと思います。与えられるチャンスを待つのではなく、自らチャンスを作るっていうのもありです。(注:若くない人もチャンスをつかんでください。)さあて、学校-信濃町間、残りの「半」を歩いて帰ります。来週もよろしくお願いします。

12月10日(水)
 岐阜で止まったホテルはとても立派できれいでした。でも、もう終わってしまったディナーショーの案内が部屋にもロビーにも置いてありました。先週の火曜日に松田聖子のショーがあったようなのですが、何でもその時に足を捻挫(ねんざ)したそうです。11月には沢田研二。松田聖子のチケットは沢田研二の2倍で、その脇に書いてあった三段重ねのお節料理よりも高いのが何となく納得できませんでした(沢田研二はお節料理よりも安かった!)。こじつけですが、外国人の受け入れに冠して、日本語学校は沢田研二、大学が松田聖子。長年やって苦労しているにもかかわらず報われていないところが似ています(俺も、私もと言わないで!)。日本語学校、収入はお節料理程度で我慢するけれど、お節料理のようにしっかり日本に定着したいものです(年1回の登場というのはナシです)。大学が捻挫するかどうかはわかりません。
 第3回トップセミナーは、経営者会議としての申し合わせ事項の決議をして無事閉幕しました。その内容の発表は日振協がするべきことなので、ここでは差し控えます。胃がズズズンともたれているのは、行きの名古屋駅、帰りの名古屋からの新幹線の中で「みそかつ」を食べたからです。私にみそかつを教えてくれたのは向田邦子(むこうだくにこ)のエッセー。岐阜羽島(ぎふはしま)の駅で食べたのがおいしかったと書いてあったので、岐阜羽島へ行って食べたのが最初です。

12月9日(火)
 岐阜から、こんにちは!加藤です。昨日は開会ぎりぎりの到着よりも1時間早く家を出て、乗り換えの名古屋駅でみそかつ定食を食べてから岐阜にある会場のホテルに来ました。全体会A、B、分科会A、懇親会、二次会、三次会を終え、12時半に部屋に戻ってシャワーを浴びながら、これだ!と思いました。日本のホテルのシャワーのお湯は、絶対に確実に最後までお湯だということ。いつしか水に変わる国、結構たくさんありますよね。これから分科会B、全体会Cをして、夕方東京に帰ります。

12月8日(月)
 先週の金曜日に時間的にも精神的にもここに書くことを考える余裕がなく、久々のサボリでした。土曜日、日曜日は本当に久しぶりの連休。ぼーっと凄し少し落ち着きました。土曜日に偶然うちの近くの甲州街道沿いにカレー屋さんがあるのを見つけたので、日曜日の晩行ってみたら、ここ数年、月に何回か行っていた別のカレー屋さんと上回る味でした。そこのご主人、とてもいい人なのですが、でも競争社会だから仕方ないな、それは学校も同じこと・・・と思った途端、せっかくの休日モードが仕事モードに切り替わってしまいました。今日と明日は、日振協(日本語教育振興協会)のトップセミナーというもののために岐阜です。カレー屋AとBの競争の前にカレー自体を日本に根付かせる必要があったのと同じように、競争相手である日本中の日本語学校経営者の皆々様と共に日本語学校をいかに・・・を考えて詣ります。日本語学校、すでに根付いたと思っていたのですが、今の時代、またスタート地点に逆戻りといった様相です。カレーを食べて戻ってきたら「今日は満月ですね」というメールが届いていたので、写真を撮りました。

12月4日(木)
 川の流れが穏やかならば川底の意志は丸く、流れが激しければ鋭く削れるのでしょう。バラに刺があり、ハリネズミに針があり、ヒトに爪があり、タコが墨を吐くのは、攻撃するためではなく、自分の身を守るため。己の立場を考えたらとんがりもするだろうとは思いつつも、己の立場だからこそ丸いの鋭いのと勝手に七変化したら、それは傲慢としか映らぬのかもしれません。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角この世は・・・・・・」。(夏目漱石『草枕』)

12月3日(水)
 2003年の流行語大賞に選ばれたのは「なんでだろう~」「毒まんじゅう」「マニフェスト」だったそうです。「世の中わからないことばっかり」が「なんでだろう~」の受賞理由だとか。今年の春頃NHKをつけるたびにテレビ放送50周年記念番組の宣伝でこの曲が流れていたのですが、ジャージ姿でくねくねと踊りながら歌うテツandトモ、当時は「なんてうるさい人たち!」と思っていました。それがいつしかファンになっていて、大晦日の紅白歌合戦発出場を聞いたときは結構うれしかったです。
 JICAの研修で日本を訪れた中国で日本語教師をしている日本語教師をしている中国人の先生たち20人が日本語教師養成研究所の授業を半日体験し、大きなバスに乗って帰って行きました。研究所のY先生はよっぽど楽しかったみたいで満面の笑みを浮かべ「よかった」を連発。一泊旅行の時に旅館の従業員さんたちが一列に並んで見送ってくれるように、私たちも並んで「さようならー」と手を振りました。

12月2日(火)
 「おはようございまーす!」と言って学生たちが元気に学校に入ってきます。男の学生、女の学生、外国人の学生、日本人の学生、10代の学生、還暦(かんれき)を過ぎた学生・・・。朝日が目にまぶしいです。私はこれから高円寺校でインタビュー。毎週の恒例行事になりました。

12月1日(月)
 来年4月生の申請締め切りが目前に迫りました。この週末は、日本語学校の学務スタッフはもちろん、企画開発、日本語教員養成、総務経理のスタッフも総出でその処理にあたりました。書類の一つ一つに、申請してくれている学生たち一人一人の人生がかかり、夢と希望が込められているわけで、いつもはおちゃらけている皆が真剣そのものになっています。明日入管に提出して私たちの手を離れたら、後は神に祈るだけです。「この世は苦娑婆(くしゃば)だ」と父がよく言っていたのですが、最近その意味がわかってきました。