村上春樹の海辺のカフカをここ最近読んでて、寝不足気味だったよ。


とっても良かったー。


大好きな本の一つになるね。


ホシノちゃんも、ナカタさんも、カラスと呼ばれる少年も、大島さんも好きなキャラクターだわ。


ここ数日は、


フランス語のヨガに関する哲学本を数冊真剣にまとめ読みしながら、同時に、私のヨガの師、マレック達の本、ヨガと医療の本をこれまた真剣に読み、(真剣に読むって、頭の引き出しの中に整理しながら詰め込んで言っているような感じで)、英語のヨガジャーナルに目を通して、何冊もの本が部屋の中に散らばっていたよ。あ、それから論文の本やら、何やらごちゃごちゃしている。。


どういう訳か、目を通さなくてはいけないような記事たちが向こうからまるでやってくるかのように、いろんな本を自然とぱっぱかとページを開いて、読みつなげていく日々だった。


シンクロ二ティに近い感じ。


まさに、今必要に感じるところだけが、ポンポンって出てくる。こんなに集中して、フランス語やら英語やら日本語やらがごちゃまぜにならずに、次から次へと、ポンポン変えられるのは私にしては珍しかったよ。


今週のノルマとして計画していた解剖生理学の勉強はおかげでさっぱりだ。。やらなくてはという気にすらならない。


何だか、何かの転機がやってくるようだ。


思えば、10代、20代、いろんなことを知り、自然といろんなところに出かけ始め、世界がどんどん広がり始め、言葉が溢れはじめ、不思議と当たり前のように、いつもそこにいる。


あんまり、恐いと思った事とか、どうしようと悩んだという思い出が無い。死にこけた時でさえ、あんまり思ってなかった気がする。あの時は、もしここで死んだら、もぬけの殻の私はどうなるのだろうか、それよりも日本にいる家族達に申し訳なさ過ぎる。自分勝手な女だな。うん、何とかせねばと考えていたんだったかな。まあでもすべては、なるようにしかならないように思える。


中学生の時、空を見上げて、どうやら自分はいつかこの島を出て行って、空の向こうに行くのだろうと思った時、当たり前のように、外国人の英語の若い先生が現われた。


19歳の時に、どうやら自分はこれから毎年最低一回は飛行機に乗るだろうと、10年パスポートを申請しに行き、そのまま本当に20代は毎年数回は飛行機に乗ることになった。


23歳の時には、どうやらフランス語を勉強しなくてはいけない気がすると思った時、その当時はスペイン語に興味があったにもかかわらず、その数ヶ月後には、スイスに行って、外人に囲まれた教室でフランス語を学んでいた。あまりにもちゃっちゃかと物事が進むものだから、家族には1ヶ月ちょっと前に知らせて(自分が決めたのもその時期だった)、いつ帰るか分からないけど、とりあえず呼ばれたからスイスに行って来ると出て行ってしまったのだった。今思えば、それをあっけらかんと理解してくれたマミーと弟もやはりすごい。空港ではさすがに涙したけどね。泣きながら、自分は何処へ行くのだろうかと思いながら飛行機に乗ったんだった。


今思うといろんなエピソードが一体全体どうなってこうなっているんだか、少しはまともに頭を使っていたのかどうかさえも危ぶまれる。


ここ最近、10代、20代を振り返ってみて、いろんな点が線になっていた事を知って唖然とした。


意識して私が動いているのは、そのうちどれくらいなのか。


まるで、偶然にすべてが始まって、必然に終わっていくかのよう。


私の人生はいつもそんな感じ。


きっとそこに行けば何かがある。でも何かはそこまで行かなくては分からない。あるいは何も無いのかもしれない。でも結局はそこに偶然にたどり着くんだろう。しかも、自分でそこにたどり着いている自覚が無い。


後ろを振り返って、初めておおっと気がついたりするんだ。


不思議と、何処にいようが、何をしていようが、自分のコアとなるものは、もうずうっと変わっていない。言葉に出来なかったもやもやが、自然と言葉になって空を舞い始め、クリアになってくるだけのような気がする。


自分自身は、何も昔から変わっていないような気がする。


でも、ちょっと気がついた。


どうやら、何かに向かって確実に、着実と進んでいるように思える。


自分がこの先、何処へ行って、何をするのかも分からないけど、(実際すでにいろんな事をしてきた気がする。その度に、肩書きだけが変わっていく)まあ、それは偶然にやってきて、必然に終わっていくから何も心配いらないんだろう。


啓示とは日常性の縁を飛び越えることだ。啓示なしになんの人生だ。ただ観察する理性から行為する理性へと飛び移ること、それが大事なんだ。わしの言ってることがわかるか、このメッキしゃちほこボケ


世の中に完璧なものなんてありゃしないんだ、ホシノちゃん。結果的に帳尻さえちょんちょんとあえば、私だっていちいちうるさいことは言わない。


不思議な事を話し出すナカタさんを受け入れ、カーネルサンダースが現われてボケと言われ、黒猫に昼寝を支持され、それでもNOといわずに受け入れていくホシノちゃんのように、目の前にある出来事をそのまま受け入れていけば、見方が変わっていくんだろうなあ。


でも考えてみりゃ、これもすべて行きがかりだ。だいたい俺が富士川サービスエリアでナカタさんを車に乗せてやったときから、最後にこうなるってことは運命として既に決まっていたんだろうね。知らないのはホシノくんばかりなりってさ。まったく運命ってのは変てこりんなもんだよ。


まあ、しょうがねえよ。なんのかんの言ったって、俺が自分で選らんじまった道だもんな。最後までつきあうしかない。どんな気色の悪いやつが出てくるか見当もつかねえけど、まあいい、ホシノくんとしても全力を尽くそうじゃないか。短い人生だったが、ときどきは楽しい思いもした。面白いこともあった。黒猫トロくんの言うところによれば、これは千年に一度のチャンスってことだ。ここでホシノくん華と散るってのもなかなか悪くないかもしれない。すべてはナカタのおじさんのためだ。


トリュホーやベルイマンなんかの名前も出てきたしね(笑)

それに最近、GAINSBOURGの映画(新作ね)を見て、何だかあたしの20代はいい感じで終わろうとしているようだよ。



いろんなことがああ、そうなんだよなってもっと簡単に受け入れられるような気がする。もっと単純に生きていけるかもしれない。って、これ以上単純に生きてどうするのだろうか(笑)

このタイミングでこの本がやってきたのは、私にとってはとっても意味のあることのように思えるよ。