私は、今年、日本人補習校の教師を辞めました。

 

対立していた事務局に、とうとう自主退職という形で辞めさせられたと

言った方が正しいと思います。

 

きっかけは、「いじめを止めたかった」

ただ、それだけなのに、生徒は謝らず、保護者は事務局にクレームを入れ、

授業出席拒否。そして、その責任を担任は追求されてきました。

 

正直、その親子の事は憎いです。

「私のクラスにあの生徒さえいなければ、あのお母さんさえクレームを入れずに、

ごめんなさいと言ってくれていたら」と、この1年間、何百回も思いました。

 

そして、話し合いの場を持ちたいとお願いしても受けてくれなかったお母さんと、

味方をしている事務局に、怒りや悲しみがゴチャゴチャになった感情を持っています。

そんなわだかまりを持ったまま、いつも事あるごとに批難されてきたことは、

大きなストレスでした。

 

事務局は卑怯だと感じた点は、自分達は、担任に対して会話もなく冷たい態度を

取ったり、言葉使いが悪いのに、メールを送るときだけ、まるで人が変わったように

優しい言葉で書きます。最後にわかったことは、メールを証拠として、日本人会など

第三者委員会に提出するからでした。

そんなことは、教師の覚書(契約書)には何も触れていません。

担任は時に、思いのたけを感情的にぶつけたことでしょう。

たとえ、酷い言葉を使っていなくても、利用されるにはちょうど良かったことでしょう。

 

最後の日に、「まだ、やるかー!」など担任は怒鳴られていたのに、

メールになると、「長い間、事務局と意見の相違があったことは大変だったと思います。

スタッフ一同、ご尽力に感謝しています」など、手のひらを返したような上品なメールに

寒気すら覚えました。すべては、自分たちの都合のためだけの見せかけの言葉。

何も伝わってきません。伝わるのは、担任に対して「ざまーみろ!」でしょうか。

 

泣いて、眠れずに、食事も取れず、病院へ行くような日々を過ごした担任は、

いろいろな方のブログを読むことが日課になりました。

その中で、補習校の事で悩んでいる方が意外に多かったので、元担任として

書き始めました。ブログを書くことは初めてだったので、わからないことが多かったけれど、

フォローをしてくれた人、いいねをしてくれた人達、読んでくれた人、皆さんにありがとう!

 

とても気持ちが安らぎました。

なんだかずっと1人ぼっちで、いろいろと悪口を言われてきていたので、

1人じゃないのかな、なんて気持ちが元気になりました。

今も、補習校のことを思い出すと辛いし、泣けてきます。

でも、ブログを書く前と今とでは、全然ちがいます。

 

2018年と題名がある通り、一度、パンドラの箱のようにこのブログは、31日で

書き終えて封印します。

ブログを書いたおかげで出会えた皆さんにありがとう!