【蘇李訣別】 (そりけつべつ)
明治34年 第10回連合絵画共進会出品
縦、149センチ 横98センチ 絹 額装
我等が大天才春草の人物画。けっこう大きい作品ですが、珍しく額装。
残念ですが、実物をまだ観ていないので、ちゃんとしたコメントが思い浮かばないのですが・・・・
蘇と李とは、蘇は蘇武のこと。李は李陵のことで、・・・・・・・李陵は、同じく匈奴の捕虜となっていた蘇武とは心を許しあえる友として付き合っていたらしい。その蘇武が許されて漢に戻る日が来たとき、李陵は三首の詩を作って蘇武に与えた。
いづれも友情にあふれた作品であり、また彼らの境遇を踏まえて読むと鬼気せまる情念がこもっていて、ここでは、第一首目を紹介します。
與蘇武詩(其一)
良時不再至 良時 再びは至らず
離別在須臾 離別 須臾にあり
屏營衢路側 衢路の側に屏營し
執手野踟厨 手を執りて野に踟厨す
仰視浮雲馳 仰いで浮雲の馳するを視るに
奄忽互相踰 奄忽として互ひに相ひ踰ゆ
風波一失所 風波に一たび所を失へば
各在天一隅 各おの天の一隅に在り
長當從此別 長く當に此より別るべし
且復立斯須 且く復た立ちて斯須す
欲因晨風發 晨風の發するに因って
送子以賤躯 子を送るに賤躯を以てせんと欲す
分かれたら再開の日は再び来ないだろうと思われるのに、別れのときはたちまち迫ってくる、分かれ道に立ってはためらい、互いに手を取り合ってはためらいあう、(須臾:間もなく、一瞬のうちに、屏營:ためらう、衢路:分かれ道)
空を仰ぎ浮雲を見れば、前後してたちまちに遠ざかっていく、風に吹かれて飛び去ってしまえば、二度と出会うこともない、(奄忽:たちまち、)
我々もそれと同じくここから分かれねばならぬ、別れを惜しむあまり立ちつくすばかり、せめて吹く風に乗って、あなたを何処までも送っていきたいものだ、(斯須:しばしの間)
日本人に親しまれた 、有名な故事を使って試作したもの。明治34年といえば、春草は25、6歳。
これから円熟の連作が始まろうとしていたときであります。若干25歳で円熟というのも、おかしな話ですが、彼に限っては、円熟そのもの。前年に描いた【雲中放鶴】に次いで、没線描法によって制作した大掛かりな人物画でありました。
没線描法とは、文字通り、線を使わない、輪郭線はじめ、説明する為の線を使わないで絵を描く。線という説明を省く事が春草の目標であったのではないでしょうか。
当時珍しく、この絵に対する評判は上々でした。
読売新聞の高評が残っていますが、当時としては、異例なほど春草を理解し、その革新的意図を励ました内容でした。
現在も言われ続けていますが、春草を宗達光琳を継承するものと見なしている事は注目されます。