そもそも目の不自由な人が、絵画を鑑賞するということなど、考えられなかった事でした。まして、視覚障害者が、絵を描くなど、夢想だにしなかったのです。
障害者を預かる側の方々も。音による側面からのサポートについては、積極的にかつ柔軟に、様々なアプローチが試されて来、既にかなりの成果を挙げて来たことはたしかです。
ところが、視覚障害者に対する視覚的なサポートは、これまで、全く考慮の他。であって、『考えても見なかった』ことでした。
始めにミツロウ君を発想したのは、香川県立盲学校の栗田先生でした。
視覚障害者を長年ケアしてきたご経験と、大変なご苦労と、優しいご性格とが、視覚障害者を視覚で救う?と言う大胆な発想を生まざるを得なかった、のだと思います。
私の出身大学と同窓の栗田先生は、私とは違って、慈父のような温かなお人柄。盲学校が置かれている厳しい状況を深く認識した上で、何とかならないものかと日ごろから、苦慮し、工夫に工夫を重ねてきたのです。
遠き道展の主催者は、展覧会の敷衍と発展を願って、全国の公立、私立、様々の美術館をあたって、各種後援をとったり、サポート体制を構築したり悪戦苦闘する果てに、ようやく思い至ったのは、視覚障害者のための展覧会。と言う選択。
ついには、宮家のご賛同を賜るまでのみちのりは、それこそ遠き道であった事でしょう。それが、今回はなんと170名の参加。というワークショップとしては破格の規模にまで発展したのでした。
<a href=http://www.geocities.jp/artmuseumjp/C10_1.htm#77>→主催者のコラムがこちら</a>
生まれてこの方絵画の存在さえ、意識もしなかった人が、ミツロウ君を握って初めて絵を描いた時、の、心の奥底からの、慶び。感動。それをつぶさに見せられた清眼者の感激。心底から揺さぶられる思いです。
全国レベルで、波紋を残しながら、まだまだ続きます。
ミツロウ君を開発したのは、人工心臓の開発など、最先端医療から身近な工作物に至るまで、町工場でしか出来ない、本物の、日本を支える会社。安久工機。http://www.yasuhisa.co.jp/
社長の田中さんは、もの作り日本を支えて行くであろう、これからの若い世代に、無償であっても援助を惜しまない人柄。(飲み友達でもあります。)