絵師 高橋天山ブログ -19ページ目

絵師 高橋天山ブログ

日本画家が語る日本文化の素晴らしさ
菱田春草を語る

そもそも目の不自由な人が、絵画を鑑賞するということなど、考えられなかった事でした。まして、視覚障害者が、絵を描くなど、夢想だにしなかったのです。


 障害者を預かる側の方々も。音による側面からのサポートについては、積極的にかつ柔軟に、様々なアプローチが試されて来、既にかなりの成果を挙げて来たことはたしかです。


 ところが、視覚障害者に対する視覚的なサポートは、これまで、全く考慮の他。であって、『考えても見なかった』ことでした。


 始めにミツロウ君を発想したのは、香川県立盲学校の栗田先生でした。
視覚障害者を長年ケアしてきたご経験と、大変なご苦労と、優しいご性格とが、視覚障害者を視覚で救う?と言う大胆な発想を生まざるを得なかった、のだと思います。


 私の出身大学と同窓の栗田先生は、私とは違って、慈父のような温かなお人柄。盲学校が置かれている厳しい状況を深く認識した上で、何とかならないものかと日ごろから、苦慮し、工夫に工夫を重ねてきたのです。


 遠き道展の主催者は、展覧会の敷衍と発展を願って、全国の公立、私立、様々の美術館をあたって、各種後援をとったり、サポート体制を構築したり悪戦苦闘する果てに、ようやく思い至ったのは、視覚障害者のための展覧会。と言う選択。


 ついには、宮家のご賛同を賜るまでのみちのりは、それこそ遠き道であった事でしょう。それが、今回はなんと170名の参加。というワークショップとしては破格の規模にまで発展したのでした。

<a href=http://www.geocities.jp/artmuseumjp/C10_1.htm#77>→主催者のコラムがこちら</a>


 生まれてこの方絵画の存在さえ、意識もしなかった人が、ミツロウ君を握って初めて絵を描いた時、の、心の奥底からの、慶び。感動。それをつぶさに見せられた清眼者の感激。心底から揺さぶられる思いです。


 全国レベルで、波紋を残しながら、まだまだ続きます。

ミツロウ君を開発したのは、人工心臓の開発など、最先端医療から身近な工作物に至るまで、町工場でしか出来ない、本物の、日本を支える会社。安久工機。http://www.yasuhisa.co.jp/


 社長の田中さんは、もの作り日本を支えて行くであろう、これからの若い世代に、無償であっても援助を惜しまない人柄。(飲み友達でもあります。)

 遠き道展 ギャラリートークならびにワークショップ行ってきました。
 
大三島美術館というのは、瀬戸内海のど真ん中にある大三島と言う美しい島にあり、しまなみ街道と言う、それはそれは立派な本四架橋が、建設され、日本でも指よりの大橋と高速道路で、幾つもの島を繋いで、そこここに色んな施設が出来たのですが。その草分け的存在。

大三島は瀬戸内海の制海権を長年牛耳った、村上水軍の本拠地にも近く、大山祇神社とその神体山があって、古い歴史と神威とで、今でも崇敬されているのです。

宝物館は源義経の鎧とか、大太刀、など、国宝や重要文化財で溢れています。ともかく海の幸に特別満たされた不思議な良いところ。

伯方の塩って聞いたことがあるでしょう。伯方島(はかたじま)で、作られてきた塩で、大三島のすぐ隣の島の特産品なのです。

大三島町立美術館だったのが、市町村合併により、今治市に編入され、今治市立になりました。

北海道から沖縄まで全国18箇所で続けられている遠き道展ですが、この度は14回目、随分沢山の人が集まってくれていました。まさに継続は力なりです。主催者も嬉しい悲鳴で大忙しでした。オープンのテープカットには、市長さんも駆けつけてくださいました。


あいにくの雨模様でしたが、大勢の参観者で賑わいました。
四国四県の盲学校の生徒さんをボランティアの方達が、案内し、集まってくれたのです。清眼者、と視覚障害者と、双方が楽しみ、かってない新鮮な体験をする、素敵なワークショップなんです。

ミツロウ君という、スグレモノのペンを使って、線を描いて絵を描く。
温められたミツロウがペンの先から安定して滴り出るようにして、線を描くと空気で冷やされたミツロウは固まって視覚障害者用の為、手指による、触感での理解を可能にした絵画レリーフが生まれるという仕掛け。

今回はさらにバージョンアップされて、より使いやすいものとなりました。

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遠き道展 

 大三島美術館にて10月9日~12月23日、開催されます。
 縦と横の競演、と副題された、今回は、縦構図の作品と、横構図の作品とを対比させて、両者の魅力について、スポットライトを当ててみました。

 初日、9日には、ワークショップ、鑑賞ガイドツアー。ギャラリートークが予定されています。天山先生も出張します。

 詳しくは遠き道展公式ホームページへ。どうぞ!


  曲線の交錯。
 田の水が造る曲線、箕傘の円、人物の丸み、早苗の曲線、そして、水に映る曲線の様々。全体に大小の曲線を散りばめ、その上に、まとめ役として一番大きな曲線=虹を持ってきたのです。
 虹を描く事が昔からスキで、このたびも虹のお世話になったのですが、上村松園の名作の一つに、虹を見ると言う絵があり、私は松園画の中で、これが一番スキ。
 北の丸の近代美術館で、丁度、開催中の松園展で、久しぶりにこの絵と再会。虹の表現を詳しく見直す機会を得ました。

 虹を描いた絵は沢山あって、心地よいものは川合玉堂の山水に現れたものなどが良く知られていますが、勿論それもよいけれど、何といってもダントツに美しい虹の表現を教えてくれるのは、春草でしょう。

 虹の一番外側は赤、で、それが橙になり、黄色になり、黄緑になり、緑となって青、さらに、紫。この順番で、虹は七色ということになっているのです。普通虹と言えば、これが定番の概念。

 ところが絵に描く場合はこの限りにあらず。順番通りに描けば良いかというと決してそうではありません。赤を描かない場合とか、白虹といって、ほのぼのと白く輝いているだけ、とか、とにかく創作ですから、虹は七色とは限らない。

 春草描くところの虹も、何と内側が、赤くなっています。そんな風に見えるわけはないんだが。現実の虹よりも虹らしい、実際とは異なっているけれどもそれが却って、感覚的なリアリティを得ている。というわけで、これは説明の仕様がない。私の使った虹表現も、紫を強調した金との対比をねらった工夫です。

 さて、何とか完成に漕ぎ着けました。


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 明治37年、2月8日、29歳の菱田春草と、34歳の横山大観は、岡倉天心と共に、米国へ旅立ちます。国内は日露戦争の前夜、文化的な活力は後退し、まして、朦朧体、と揶揄されて、絵のうちに入らず。と批判されていた二人の作品を買ってくれる人はなく、活路を見出す為の渡米でした。


 いわば、国内にいても食い詰めるので、アメリカにまで出稼ぎを決意したのです。恩師の橋本雅邦の好意、500円を受け取ったものの、トテモこれでは足らず、残して行く家族の為、金の工面などで、相当苦労し、いわば片道切符の状態での出発。

 あたかもロシアへの宣戦布告の日、船中には、米国経由で英国に渡り、日英同盟を結ぶ為の重大使命を帯びた、末松謙澄の一行が同船しており、見送りの伊藤博文が、甲板で、悲壮な演説をするという、まさに激動の真っ只中の出帆でした。


 ロシア軍に攻撃されるかもしれないとの懸念を抱きながら、この最期の定期船に乗り込んだ二人の思いは、いかばかりだったでしょうか。


 心細い懐に反して、不退転の決意で、勿論不安もあったでしょうが、心はとても豊かであった事と思います。


 朦朧派と言われるのは言わば、手抜き画といわれているわけで、不親切な無理解に依る無知、であって、、時代がこの二人の高い精神に追いついていないだけの事であったのですが、妥協を知らない二人は、それなれば、新天地へ!と志したのでしょう。天心の助言による事でもありました。


 もっとも、前年、インドへ行ったのも天心のアドバイスがあってのことでしたが。天心が仲介をした、王宮の装飾と言う仕事は話ばかりで、パア。タゴールが気の毒に思って展覧会を企画してくれて、売り上げを得て、やっと愁眉を開くと言った按配でした。


 米国でも率先してツテを頼りに展覧会を企画、すると、さすが富の国、右肩上がりの時代でもあり、予想外の評判で、売れに売れ、美術院の経営の為、家族の生活の為、日本に送金することが出来た上に、ヨーロッパに足を伸ばす事もできたのでした。


 のべ、一年半、外遊を終えた二人は、自信にあふれて、心機一転。新作を世に打ち出して行くのですが、、本当の理解を得るにはまだ程遠かったのです。


 いつの時代にも、極僅かの人たちが労苦を惜しまずに未来への扉を開いてくれるのですがそこにいる周囲の者たちはその意味が分からず、きょとんとしているだけで、ひどいのになるとそれを咎め、邪魔する者さえでてくるのです。


 しかし、真実に目覚める時が来るのも自然の法則。ぬきんでた作品が生まれさえすれば、批判していた人も、目を見張る事になるのでした。


 日露戦争の難関を越えた二人が真摯に世に問いかけて行く、ホンモノの日本文化の香りに、識者は無論大衆も魅了されて行きます。


 病を得て、早世してゆく春草を誰よりも惜しんだのは、大観その人であったろうと思います。二人三脚であらゆることに立ち向かい、一人ではできない事も二人で乗り越えてきたのです。年上の大観は、自分より才能あふれるこの無二の友を見送った後、たった一人でその後の日本画壇を、日本文化を支えて行くことになります。


 




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 水に映る虚像と、実像と、美しい田んぼの水辺は、床しい空気に溢れていました。あくまでも品位を失わず、清潔感と、瑞々しさと、どこまでも清らかに歌い上げたいと思います。
 
 一人ひとりの人物、各部分の隅々まで、神経を尖らせて、しかし、おおらかに着彩を重ねて行きます。
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 部分的な修正。加筆。
 洗い落として、一つの夢の世界が、出来たものの 少々荒々しい。

 もっと、神経の行き届いたディテールを構築して行かねばなりません。

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人物の表現を深めています。胡粉の重ね塗りがちょっと難しい。
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 落款を書いてみて、構図の大切な要としてみました。まだ完成してはいませんが、落款も構図の一部なので、とにかくいれてみたのです。

刷毛仕事は、日本画の大切な技法です、熟練のみが要ですから、言葉で説明してもムダ。説明されたってできないから、、、。

 砲丸投げの選手が、世界中から集まって来る工場が日本にあるんです。世界記録を出せる砲丸を作れる名人がその経営者。何でも秘密なんかない、ただ、真ん中に重心が来るように作るだけ。理屈は簡単なんだがそれが難しい。説明したところでできないよ。と、

 基本は動かしがたい決まりがあって、基礎を繰り返しているうちに、自分なりの応用が生まれ、人の技を真似てみながら工夫するうちに、知らず知らず技量は上がってゆくものです。

 どうやったらこう出来るんだろう?

 疑問を抱くことが大切。速水御舟の作品など良い対象ですね。一体どうやったらこうなるのか????

 悪戦苦闘して、ソレらしき表現を真似することが出来ても、ソレは真似。オリジナルではないので、幾ら上手く真似できたところで、そのひとでなければならん表現からは遠ざかるから、何にもならない。

 ただ、多くの人は、基礎をちゃんと学ぼうとしない、と言う事を感じます。若い時に習得すれば良いんだが、ある程度年をとると、人から教わるという謙虚さが失われてしまう、さらに我の強いタイプが集まっている画壇ですから、これくらい俺にも出来ると、自分を過大評価しがち。

 出来もしないのに、出来たような気にナって、ろくでもない作画だけが、残ってしまうんですね。人のことは言えませんが、、、。

 ちゃんと真摯に疑問をいつも抱いて初心を忘れずに先を急がずに求めている人は、必ず上達します。

 刷毛で水を打ち、濡れてる間に絵の具を差して、乾いた刷毛の毛先を使ってその絵の具を自在に画面上に泳がせる。言葉にすれば簡単なこのことが、実用化されるのは大変。

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 やっといくらかしのぎ易くなって、そろそろ芸術の秋。でも世相はホントに厳しく、何か余裕のない閉塞感で一杯ですネ。ソレもこれも皆、日本人が、日本人でなくなってしまったからでしょう。

 一億揃って、悠久の大儀に生きる、と言う精神を忘れてしまいました。

 神風特攻隊の、司令長官だった大西中将は、特攻によるレイテ防衛について、
『これは、九分九厘成功の見込みはない、これが成功すると思うほど大西は馬鹿ではない。では何故見込みのないのにこのような強行をするのか、ここに信じてよいことが二つある。
 一つは万世一系仁慈をもって国を統治され給う天皇陛下は、このことを聞かれたならば、必ず戦争を止めろ、と仰せられるであろうこと。
 二つはその結果が仮に、いかなる形の講和になろうとも、日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実と、これをお聞きになって陛下御自らの御仁心によって戦さを止めさせられたという歴史の残る限り、五百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう、ということである。
 陛下が御自らのご意志によって戦争を止めろと仰せられたならば、いかなる陸軍でも、青年将校でも、随わざるを得まい。日本民族を救う道がほかにあるであろうか。戦況は明日にでも講和をしたいところまで来ているのである。
 しかし、このことが万一外に洩れて、将兵の士気に影響をあたえてはならぬ。さらに敵に知れてはなお大事である。講和の時期を逃してしまう。敵に対しては飽くまで最後の一兵まで戦う気魄を見せておらねばならぬ。敵を欺くには、まず味方よりせよ、という諺がある。
 大西は、後世史家のいかなる批判を受けようとも、鬼となって前線に戦う。講和のこと、陛下の大御心を動かし奉ることは、宮様と大臣とで工作されるであろう。天皇陛下が御自らのご意志によって戦争を止めろと仰せられた時、私はそれまで上、陛下を欺き奉り、下、将兵を偽り続けた罪を謝し、日本民族の将来を信じて必ず特攻隊員たちの後を追うであろう。』

 参謀長にこの真意を語り、以後600名を越える特攻作戦を断行して、
 「特攻は統率の外道である」
 「わが声価は棺を覆うて定まらず、百年ののち、また知己なからんとす」

  つまり、自分が死んで後その評価は百年経っても定まらない、誰も自分がやったことを理解しないだろうと語っていたのです。
大西中将は、敗戦の翌日未明、自らの命を絶つことによって責任をとりました。
「吾死を以て旧部下の英霊とその遺族に謝せんとす」 から始まる遺書を残して。

 お田植えの神事が日本民族の原点であるように、大西中将の御意思、もまた全く同じく、日本の原点と言えると思います。

 悠久の大儀を絵にしなくてはなりません。

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せっかく、描写をかさねて、作画を進めてきたのに、一気に刷毛と水で、積み上げた描写を洗うと言うのは、ちょっと普通には考え付かないかもしれませんが、ソレによっていらざる説明を避けて、描写のエッセンスだけを残し、無駄の用でもギリギリの欠かせない要素のみを、抽出するという、いわば肉を切らせて骨を断つ、式の、一つの効果的な手段を用いたのです。

 勿論、重なった絵の具の層を、必要に応じて少しずつ残しながら洗うのですから、後退しているのではなく、大いなる前進です。

 この制作では、地塗りはしていないので、確固たる線描のみが地塗り。多少の描写をしたところで、洗えば、残るものは実に少ないものです。厚塗り表現では、重たくなって、毒気の少しもない清浄そのものの世界を現すには不適切。それでなくとも絵の具の物質的質量で、存在感を出すなどもっての他。もうそんな段階に安住してはいられません。

 もう厚塗りの時代ではないのです。掛け軸にしてもちゃんと巻けるくらいの薄い絵の具の層の中で、深い表現が出来なければ、調子の高い制作を求める事は難しい。

 大観先生の初心に戻らなくては。日本画が駄目になってしまいます。


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 情けないくらいムダを洗い落として、こそぎ落とされた贅肉がなくなって、体脂肪ゼロに近づきました。

 そして、こそぎ落としたその後に、構図を纏め上げる為の虹を描き加えました。この虹は始めの小下絵のときから一つの案としてあったものでしたが、ここまでの作画では邪魔としか思えず、考慮の外に置かれてきたものです。

 が、ここへ来て、無駄なものがなくなりみすぼらしいぐらいに贅肉が落ちたので、全体を引き締める為の構図の要として、再登場です。

 自在に取捨選択が出来るのも始めの発想と、可能性のある選択肢の幅と深さとをモチーフから充分に得ていればこそ。

 とにかく神代の遠い時代から連綿として続けられてきた日本文化の源、田植えそのものを歴史を越えて描こうと言うのですから、そう簡単では、、。

 邪気のない、澄み切った清浄そのものの世界。これを目指さねば。