このささやかなブログは、日本画をわかりやすくお伝えする目的で続けております、日本画のおおまかな解説は過去ブログに遡ってごらん下されば、と思います。
“菊慈童”(きくじどう)
その昔、深山の奥のまた奥に不思議なる菊の苑があって、そこから流れ出す清らかな水は不老長寿の妙薬となる。という逸話を元に作られた謡曲に、菊慈童と名付けられた、名曲があるんです。
・・・・・それ、邯鄲(かんたん)の枕の夢ぇーーーー、楽しむこーと、いくとせー、慈童は枕をいにしえのーおーー・・・・・、と、実に良い曲で、秋の定番とされる、非常におめでたいものであります。短いけれども、自然美と、精神美とが端的に感じられるのです。
謡曲菊慈童は、菊花の咲き乱れる神仙境を舞台に、菊の花のめでたさと、その菊が水に滴り 不老不死の薬になった由来を語り、永遠の美少年の長寿を寿ぐ曲であり、リズミカルな謡 (うたい)に乗って、美少年が演ずる舞は、軽快で颯爽としていて、この心を余すことなく描ききった名作が、春草の手になるこの、作品であります。
他の作家もこれをテーマに描いていますが、春草に比べると気の毒なくらい稚拙。
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深まり行く秋の気配が、ひたひたと、秋霧と共に観賞者を包み込んでしまうかのよう!
一人たたずむこの世のものとは思えない菊慈童が、誠に精細に描かれているではありませんか。
マッタク、春草にかかったら、神秘世界もあっというまに開示されてしまいます。
菊の香りが仄かに漂ってきて、目をこすると、あら不思議、慈童が一人立っているではありませんか! すずやかなお召し物は、紅葉に反して、寒色で、描かれていますね。
また、紅葉の複雑な奥行きも、省略と誇張とのバランスを保ちつつ、静かだけれど、木の葉のさやぎが、微かにきこえてきます。見つめ続けていると、菊の香が、いよいよはっきりと感じられ、そういえば、せせらぎの音も聞こえてきました。
先回にご紹介した“水鏡”も伝説の世界ですが、やはり秋の風情というものが中心となって、日本文化が語られると、春の良さ、を想い、夏を心待ちにし、冬を楽しむ気持ちになるものです。
続いてこの作品も、日本文化の代表、秋をしみじみと感じさせる素晴らしい作品だと思います。
“砧”(きぬた)
なんと!この御婦人の優しげなこと。
当時、武者絵、とか、謡曲からテーマを持ってくるとか、歴史的な画題は今よりずっと当たり前の共通する概念でありました。しかし、その殆どが、次代の流れに洗われて、今となるとただ古臭いものに感じられるものなのですが・・・・・どうでしょう!これは!
大天才春草の作品は、常に、いつでも新しく、興味深深たる魅力に溢れ、まさに、時代を超えた高い普遍性を獲得しているのです。
砧と言うのは、木槌で、アイロンのように、布を滑らかに、平らに、つやをだす、こと。 昔は木綿や絹を纏えたのはごく一部の特権階級の人々に過ぎませんでした。それでは一般 民衆の衣は、というと長いこと麻や楮(こうぞ)、藤、葛(かずら)など、 樹皮からとった繊維を織ったもので、それらを蒸し、さらに川で晒し、紡いで織ります。こうして出来た、繊維の太く、布目も粗いごわごわした布を着やすく、美しくするためにこれを打ち柔らげ、とんとんと叩くことを総称して、砧、といったのです。
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謡曲“砧”は、夫の留守宅を守る妻の悲しみが描かれており、詞章、節づけともに晩秋のものがなしさを表現して、古来人々に好まれてきたお能で、女主人公が砧を打つことが情念の表現になっています。
春草はその情念を、深々とした秋の風情の中にどっぷりとつかるような表現で、作品としました。
この作品は初期のものではなく、先ほどの若描きを元にした、円熟期のもの。
凄みが、加わっていますね。
春草とは、菱田春草のことで、明治時代に横山大観
ら、と活躍した大天才です。
わずか、36歳で夭折するまでの間、それは素晴らしい業績を残してくれたので、死後100年のエポックな年でもあり、ブログでの展覧会を継続中です。新しくご覧になった方は、是非遡って、ご高覧お願いします。
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