感動ポルノ、なんて言葉、最近知ったばかりなのだが、ぎょっとする表現だと思う。
Wikipediaによれば原語は英語で「inspiration porn」というらしい。
つまり、障害者が、障害にもめげず、がんばって、苦労して、すごい、という、そういう定型的な見方のことだそう。あの乙武氏なんか、これで収入を得てきた人だと言っても過言ではない。ただしWikipediaによれば、同氏も「そういう見られ方が嫌で仕方なかった」そうだ。はは、確かにね。乙武氏はあの障害にもめげず立派にフリンもし、妻子から見限られてもいる。
私は前から書いていたのだけど、障害者を「聖なる天使」みたいに見る風潮は、受け入れられない。人間だれしもそこそこ障害はあると思う。国の方では、身体と精神の所定の状態を障害と認定し、場合によっては金銭やクーポンをくれたり、税など所定の支払いを免除してくれたりする。
しかし、人は、身長が低い、顔が醜い、頭髪がない、家庭環境が最悪、親が毒、絶望的な運動音痴、時間を守れない、陰気、など、さまざまな欠点や事情を何かしら持っている。ただし、それらは「障害」とは呼ばれないし、ましてや手帳や金銭は受けられない。こういうハンディ(と言って良いものか)を持ちながら、社会を生きていかねばならないのも、結構難儀なんだが、「甘えるな」で済まされてしまう。
とにかく、障害者だから、と言って美しく見すぎるのは、控えた方がいいと思うのだが、こういうことすら、公に言えない雰囲気がある。
先日知ったのだが、私などの世代では普通にあった「色盲」(←しきもう、で変換できなくなっている)、「色覚異常」「赤緑色弱」といった言葉は死語なのだそうだ。今は「色覚多様性」ですって。はあ?? たようせい? じゃあ、ペンキ屋さんが赤い壁を緑に塗っても「これ、多様性なんですよ」って言われたら大目に見なければならん、ってこと?
昨日、新聞を見ていたら、7年前、てんかんを隠していた男の重機にはねられて死亡した女児の遺失利益を「健常者の85%」とした一審判決の控訴審で、大阪高等裁判所の女性裁判長は、
「女児本人が努力して、健常者と同じ条件で働くことが可能だった」
と判事し、健常者と同等の遺失利益を認定した。
このお父さんは、
「娘が補聴器を付けて聞き取るなどの努力をしたのが否定されたのが救われた」
とおっしゃっていた。15%の差を不服とし、控訴したのは親としてはわかるけど、亡くなってしまった場合、その子が将来いくら稼げるかなんて、誰にもわからない。しかし、この娘さんが生きていたとしたら、障害者手帳を受け取るだろうし、1級から3級に相当する難聴であれば、障害年金を受給しただろう。
「補聴器を使用して聞き取る努力をしたから、障害年金は支給しない」
と国から言われたら、たぶん
「差別だ」「不合理だ」「権利がある」
と言って訴訟を起こすんじゃないか。
私が障害者についてあまり好きでない点は、通常は「差別するな、健常者と同じに扱え」と主張するのに、いざ金銭などメリットが得られる場合になると、急に弱者に変化することである。こういうのを「いいとこ取り」と言ったら言い過ぎかなあ。