三笠宮妃の百合子さまが、101歳で逝去された。
ところで皇族の死去の場合、「崩御」「薨去」「逝去」と表現があるが、どう違うのか調べてみたら、「崩御」は敬称が「陛下」となる方の死で、「薨去」は「皇族または三位以上の人の死」、とある。だったら百合子さまはなぜ「薨去」ではないのか? 確か三男の高円宮殿下のとき、TVは「薨去」と報道した記憶があったが。
私のようなド平民が申すのもなんだが、101歳まで、百合子さまの気品と優雅さは、並大抵ではなかった。これほどまでにお美しい100歳代の女性は、ほかに例がないのではないかと思われるほどだった。
百合子さまは、旧高木子爵のお嬢様だった。やはり、ご出自とお育ちが違うのだろう。
上皇陛下以降、華子さまと久子さまを除いては、男性皇族は平民の女性と結婚するようになった。血族結婚を避けるためには理想的なことなのかもしれないが、私なんかいまだ雅子さまを見るたび「小和田さん」と呼びたくなる。皇室になじめず、精神を病まれるくらいで、公務をドタキャンし続けたお方。いまだ正式に回復したとの報もない方に、「皇后陛下」という肩書が合わない。
そのため、皇太子夫妻(当時)に代わり、きつい公務が全部降ってきたA宮ご夫妻を応援していたのだが、トンボの論文1つで親王殿下を東大に(裏から)入学させるのになりふり構わなくなってきた同夫妻、とりわけ妃殿下の方を「?」と思うようになってきた。やっぱり、A宮も若かりし頃、親に「皇籍離脱」を叫んでまでド平民と結婚するから、そんなことになるのではないか。皇族が学歴優秀でなければいけないなんて、国民は思っていない。長女のような結婚もさせるべきではなかった。ただ、伝統を守り、公務をし、皇室を守っていただければ良い。
アメリカが押し付けた現憲法の14条に、
「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない」
とある。貴族社会のあるイギリスを嫌って船でアメリカ大陸に逃げてきた人らの子孫が書いたからこんな条文になってしまったのだろうけど、お血筋正しい百合子さま、華子さま、久子さまの気品を見るにつけ、やっぱりある程度の貴族社会は日本に残しておく方が正解だったのではないだろうか。男性皇族の妃を育てるという目的がその1つにあっても良い。