今日は、上皇陛下の90歳のお誕生日だそうだ。平成の時代であれば、今日は祝日だった。

上皇陛下は、上皇后陛下おすこやかにお過ごしのご様子。

 

さて、上皇陛下といえば、皇室史上初めて、「恋愛」により、「平民」から妃を迎えられた方として知られている。

私らが物心ついたころから、美智子様はすでに妃殿下であり、皇族の一員であったけれど、富豪とはいえ、平民の身からそこに至るまでの膨大な紆余曲折は、もっと大人になるまで知りえなかった。つまり、子供には、美智子様なんて言われても、誰だかわからないものだった。

 

私は、小学校時代、美智子様関連で、時にとばっちりを受けることがあった。

小学校では、しばしば、

「自分のお父さんはどこに勤めているか」

を、クラスで発表しあうことがあった(←今は個人情報保護でこんなことはしないかな?)。

私の父は、「日清製●」という食用油の会社(←言ってるじゃん)に勤めていた。

小学校1年のとき、鈴木という、鬼婆のように恐ろしく、言葉遣いも下品丸出しの担任に聞かれたとき、私は、

「日清製●に勤めています」

と答えた。そうしたら、その鈴木の鬼婆は、

「あんた、それじゃあ美智子妃殿下のお父さんの会社じゃねえかよぉ」

本当に言葉遣いが乱暴で、到底、6~7歳の子供の担任をするにふさわしい教師ではなかった。私はこの教師が嫌いで嫌いで、こわくてこわくて、時々「おなかが痛い」と仮病を使って休んだほどだった。今でこそ「登校拒否」とか「HSC」という定義もなされているが、当時はまだそんな定義はなく、私には、クラスのほかの子たちが、この下品で銀歯むき出しで怒る鬼婆を私ほどに恐れなかった理由が全くわからなかった。

とにかく、1年生の子にむかって「美智子妃殿下」なんて言っても、誰だか通じないということすら理解のなかった教師だ。私はきょとん、としていたが、この結果、父は「日清製粉」に勤めていることにされてしまった。「せいゆ」と言っても、聞き入れるような婆ではなかった。

 

3年生のときの深沢という女教師もまた、あきれるほどいい加減な先生であった。この先生にも、

「父は日清製●に勤めています」

と言ったら、深沢もまた、

「あ、美智子様のお父様の会社ね?」

と決めてかかって、黒板に「日清製粉」と書いた。普通、3年生に「美智子様」なんて言ったってわからんだろうに。さらにあいにくなことには、次の日は参観日で、

「ここに書いた、お父さんたちが勤めている会社の名前を、明日お母さんたちに見せましょう」

という流れになっていた。

うちの父の会社の名前が違う。

明日、母が見たら、間違っているのを見て悲しむだろう、困る、恥ずかしい。

気が小さくて、誰にも相談することができず一人もんもんと思い悩むたちだった私は、布団の中で泣きながら、明日どうしたらいいのか悩んでいた。次の日、学校へ行くと、こっそり、黒板の「粉」を「ゆ」と書き直した。

 

結局、そこまで悩んでいたほど、当日の参観日は特に何かあった記憶もないから、どうってことなく終わったのだと思う。

とにかく、私は、父の会社の名前を言うたび、「美智子様」と言われたり、社名に誤解を受ける理由がわかるまで、かなりの年月を要したのだった。