横浜は天気がいい。おだやかな年明けだ。
まだ父の喪中のため、年始の挨拶は残念ながら遠慮させていただきます。

旦那は毎年年末年始にはアメリカに帰るので、私はいつも実家で過ごす。
喪中とはいえ、そこそこのお節料理をこしらえた(と言っても大半は母が作ったのだが)。

昨夜は「年取りの魚」を食べた。我が家ではあまり蕎麦を年越しに食べる習慣が無い。
年取りの魚は、東日本では鮭、西日本では鰤が多いようだ。我が家では鰤の方が多かった記憶があるが、私があんまり鰤を美味しいと思わなくなってきたので、ここ数年は「なめたがれい」を食べることがある。

なめたは、これ↓。表皮がぬるぬるしている。煮魚にすると、とろけるような味わいだ。
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昨日、これを買い求めに横浜駅ビルの地下の大きな魚屋さんに行ったが、
「カレイですか?いえ、扱っていません」
との答え。しょんぼりして高島屋へ行ったが、ここも
「ありません」
と。どこも、カニと刺身と焼いた鯛ばかり売っており、魚の切り身といえば鰤くらいしか見当たらない。
わずかな望みを抱き、東口のそごうまで足を進め、人ごみをかきわけかきわけ、祈るような気持ちで探してみた。切り身コーナーにはなかったが、鮮魚コーナーに、まるまる1匹、1万円也で売られていた。

さすがに、こんな大きい魚1匹は要らないんだけどな・・・

「はい、お姉さん、何にしましょう?」
「おばさん」と呼んだら売上につながらないことを心得ている若いお兄ちゃん店員に声をかけられ、
「1匹まるまるじゃ、今どきなかなか買う人いないでしょう~?切ってくれませんか~?」
と頼んでみた。お兄ちゃんは、そのコーナーの責任者に相談した結果、
「じゃ、切りましょう」
と応じてくれた。大晦日だから、早く売りたい気持ちもあったのだろう。
しばし待って切り身をGet。1切れ2000円也の高値であったが、年に1度の贅沢なので、目をつぶった。

鍋に入れ、絶えず煮汁をかけながら煮た。甘みは控えめにした。
あまり煮続けると、あのなめたでも身が固くなりそうだったので、煮汁だけを別の小鍋に入れて煮詰め、またなめたの鍋に戻し、あとはフタをして余熱を通した。我が家では、煮魚のとき、いつも、ゆでたほうれん草(まれに春菊)を添え、煮汁をつけながらいただく習慣なのだが、他のご家庭でもそうかしら?

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日本酒をお燗し、母となめたを賞味。やっぱりおいしかった(注:この写真はネットに出ていたのを拝借したもので、私が煮たものではありません・・・)。

晩御飯のあとは、毎年の私の仕事である伊達巻作り。本格的にはエビのすり身を使うようだが、私は毎年はんぺんをすりつぶして使っている。毎年、卵は5~6個使うのだが、今年は4個だけにした。
年に1度しか焼かないせいもあるし、卵料理は、もともと料理人でも難しいものとされている。
余熱でも結構火が通るので、見極めが難しい。生焼けでもいけないし。
市販の伊達巻は、まるでカステラのようだ。甘すぎるので、家で焼くに限る。巻きすで巻いて輪ゴムで止め、1晩放置する。

しかし、年とともに段々と食べる人も量も減ってゆくものだ。実家には、私らが食べ盛りだったとき、あるいは、来客がひんぱんにあった時代にたくわえた食器やカトラリー類がもう、それこそ売るほどある。「これでも随分涙をのんで減らしたのよ」と母は言うが、もう昔のように父が突然お客を連れてくることもなく、ナイフやフォークを使うような洋物のおかずも作らなくなり、それらはただただ場所ふさぎ、家のおもしになっている。