来年のNHK大河ドラマは「坂本龍馬」が主人公だという。福山雅治を主演に口説いたあたり、女性視聴者の人気はあらかじめ獲得済み、といったところか。

ところで、龍馬といえば、妻のおりょうも有名だが、このおりょうと、我が地元横浜に意外なつながりがあったので、写真を織り交ぜて紹介したい。

横浜市神奈川区台町というところは、かつて、東海道五十三次があった時代、日本橋(始点)→品川→川崎に次ぐ宿場町であった。下の安藤(歌川)広重の浮世絵で「臺(台)の景」として描かれている場所だ。しかし、昔はこの台町の向こうは、一面、神奈川の湊であったのだ。

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今、横浜駅や繁華街がある場所も、みな埋め立て地の上に造られたことをしっかり知った。

広重が描く茶店の中に「さくらや」というのがある。これが現在の「料亭 田中家」だという。この浮世絵でいけば(小さくて見にくいのでごめんなさい)、一番右上に、上は赤、下に青をまとった女性が立っているところだ。文久3年(1863年)創業というから、もう150年近い。高杉晋作やタウンゼント・ハリスも訪れたという。が、その下にある龍馬の妻、おりょうに関する記載には「へえ」と目を疑った。

田中家・看板
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田中家・前景
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田中家の前に立られている説明板
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おりょうの説明書き部分の拡大
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おりょうは京都の生まれだが、ここ田中家で働いていた、というのだ。しかし、月琴が弾けたのはともかく、あの時代の女性でありながら、「英語が話せた」というのも不思議だ(私だっていまだに四苦八苦しているのに (^_ ^ ;)。

龍馬の妻とは言いながら、実際の結婚生活は、夫が暗殺されたことで、わずか1年あまりで終わったようだ。夫の死後、再婚したそうだが、生涯、龍馬の妻であったことを誇りに思っていたらしい。再婚後は「西村ツル」と名乗り、横須賀で66年の生涯を終えている。


田中家の横には長い階段があり、そこをとことこ降りると、横浜西口の繁華街方面に出る。横浜は、もともと、山と谷のでこぼこだらけの土地だが、この標高差があるのも、かつては海だったところを埋め立てたせいだと納得した。

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ちなみに、田中家のウエブサイト:
http://www.tanakaya1863.co.jp/groop.htm