父が死んで3ヶ月あまり。
母とは、ときどき「お父さんって変な人だったねえ」と思い出話をする。生きていたときにも嫌われていたのに、死んでまで悪く言われて、ちょっと気の毒かもしれないが、父に関しては、良い思い出がほとんど無い。これも父の無学、無教養、頑固、偏屈、思い込みの激しさといった、生い立ちや性格上の欠陥に家族がこりごりしてきたからである。母方の家系もろくなものではないが、父方の家系には問題ありすぎで、こんな血筋を後世に残したらまずい。従って、私は子供を持とうと思ったことはない。
父が死んでから、母は、これまでできなかった家のあちこちの補修をおこなっている。まず、台所の汚れた壁のペンキ塗りとか、あちこちやぶれたふすまの張替えだ。そして、台所から玄関に行くところに取り付けられていたドアの取替えもだ。このドアは暗くて重く、夜中に、開いているのかどうかわからず、よく体当たりしてぶつかった。父に、このドアをガラスの入ったものと取り替えたい、と言っても父は許さなかったのだが、この頑固じじいが死んで、やっとガラスの入ったものに取り替えることができたのである。これで、光が差すようになったから、ドアが閉じているのか開いているのかがわかるようになり、間違ってぶつかることもなくなった。
どういうわけだか到底理解できないのだが、死んだ父は、家族の希望で家を修理したり、家具を買ったりすることすべてに、烈火のごとく反対した。この点では、私が若いころからも、どれほど喧嘩したかわからない。たとえば、私が社会人になってからミニステレオを買ったので、ステレオその他を置く、ちょっとしたサイドボードを買ったら(もちろんステレオもこれも自分の給料で)、鬼のように怒りまくった。たまりかねた私は、
「何よ、それなら、テレビもビデオもステレオもみんな畳の上にべたべた置け、って言うわけ?」
と反論すると、この糞オヤジはすかさず「そうだ」と答えた。理屈にも何にもなっていないのだが、とにかく、家族のすること考えること、はじめから反対ありきの人だった。
これほどまでに何でも反対するくせに、自分のすることだけは世界一正しいと思っていたらしく、狭い住まいに、不似合いなほど大きくて贅沢な家具を突然買ってきたりするので、母は目を回した。まるで、ウサギ小屋に象を入れるようなものである。父の弁によると、
「将来、一戸建て住宅を建てたときのために」
ということだったが、父は結局、一戸建てなど持たずに死んだ。
「本当に一戸建てを建ててから買えばいいのにねえ」
と家族は父をなじった。またある日も、勝手に、足も折りたためない豪華な木製の和風テーブルを突然買ってきた。母がなじると、
「子供たちが将来家族を持って連れてきたときのために」
などとうそぶいた。それならそうなってから考えればいいことなのに、兄も私も学生のときからそんな馬鹿でかいテーブルを買うものだから、転居のたび、母はその使い勝手の悪い「魔のテーブル」の収納場所に頭を痛めていた。結局、そのテーブルは、近所で書道教室を営む人にあげてしまった。ほっ。
そんなわけで、じゃまな頑固じじいがいなくなって、母は楽しげにあちこち修理している。男が先に死んでくれて万々歳ってところか。
母とは、ときどき「お父さんって変な人だったねえ」と思い出話をする。生きていたときにも嫌われていたのに、死んでまで悪く言われて、ちょっと気の毒かもしれないが、父に関しては、良い思い出がほとんど無い。これも父の無学、無教養、頑固、偏屈、思い込みの激しさといった、生い立ちや性格上の欠陥に家族がこりごりしてきたからである。母方の家系もろくなものではないが、父方の家系には問題ありすぎで、こんな血筋を後世に残したらまずい。従って、私は子供を持とうと思ったことはない。
父が死んでから、母は、これまでできなかった家のあちこちの補修をおこなっている。まず、台所の汚れた壁のペンキ塗りとか、あちこちやぶれたふすまの張替えだ。そして、台所から玄関に行くところに取り付けられていたドアの取替えもだ。このドアは暗くて重く、夜中に、開いているのかどうかわからず、よく体当たりしてぶつかった。父に、このドアをガラスの入ったものと取り替えたい、と言っても父は許さなかったのだが、この頑固じじいが死んで、やっとガラスの入ったものに取り替えることができたのである。これで、光が差すようになったから、ドアが閉じているのか開いているのかがわかるようになり、間違ってぶつかることもなくなった。
どういうわけだか到底理解できないのだが、死んだ父は、家族の希望で家を修理したり、家具を買ったりすることすべてに、烈火のごとく反対した。この点では、私が若いころからも、どれほど喧嘩したかわからない。たとえば、私が社会人になってからミニステレオを買ったので、ステレオその他を置く、ちょっとしたサイドボードを買ったら(もちろんステレオもこれも自分の給料で)、鬼のように怒りまくった。たまりかねた私は、
「何よ、それなら、テレビもビデオもステレオもみんな畳の上にべたべた置け、って言うわけ?」
と反論すると、この糞オヤジはすかさず「そうだ」と答えた。理屈にも何にもなっていないのだが、とにかく、家族のすること考えること、はじめから反対ありきの人だった。
これほどまでに何でも反対するくせに、自分のすることだけは世界一正しいと思っていたらしく、狭い住まいに、不似合いなほど大きくて贅沢な家具を突然買ってきたりするので、母は目を回した。まるで、ウサギ小屋に象を入れるようなものである。父の弁によると、
「将来、一戸建て住宅を建てたときのために」
ということだったが、父は結局、一戸建てなど持たずに死んだ。
「本当に一戸建てを建ててから買えばいいのにねえ」
と家族は父をなじった。またある日も、勝手に、足も折りたためない豪華な木製の和風テーブルを突然買ってきた。母がなじると、
「子供たちが将来家族を持って連れてきたときのために」
などとうそぶいた。それならそうなってから考えればいいことなのに、兄も私も学生のときからそんな馬鹿でかいテーブルを買うものだから、転居のたび、母はその使い勝手の悪い「魔のテーブル」の収納場所に頭を痛めていた。結局、そのテーブルは、近所で書道教室を営む人にあげてしまった。ほっ。
そんなわけで、じゃまな頑固じじいがいなくなって、母は楽しげにあちこち修理している。男が先に死んでくれて万々歳ってところか。