昔は「浮気」と言っていたけど、今では「不倫」と呼ぶほうがおしゃれらしい。ともあれ、不倫にはきっと罰がある。
そんなこと言っていたら時代遅れだとか、フリンの1つや2つくらい大統領でもやっている、とか、うちの会社内は不倫だらけだとかいう話はいたるところで聞く。ベストセラー小説のテーマが不倫だったりすると、最後に心中を図っても「悲恋」として共感を呼ぶ。残された家族にだって怒りや悲しみがあるのだが、小説のメインテーマではないから、そこまで書かれない。
さて、私は昔から、日本人の独身男性にはおよそ恋愛の対象と見られてこなかった。たまに町でナンパされると外国人だった(なぜ?)。私の好きな人はみんな、結婚しているか、彼女がいるか、私のことなど好きでなかった。その後、縁あってアメリカ人と結婚できたが、やっぱり日本人には縁が無かったし、昔、手相見の占いさんに「よくこんな手相で1回でも結婚できましたね」と驚かれたのは、案外当たっていたのかもしれない。
20代前半のときから、既婚者に誘われることがたびたびあった。が、私は男女の機微には疎く、「なんでこの人は親切にご馳走してくれるんだろう」と無邪気な疑問を持っていたほどだったから、その「後」に期待されたことなど、到底うまくやれる自身は無かったし、なまじ法律知識があったので、「奥さんにばれたら、民法90条の公序良俗違反で損害賠償請求されるわ」と思うと、とてもではないが、そんな勇気はなく、ご馳走を食べるだけでさよならした。
大学時代の友人同士で結婚したカップルを知っている。お互い、見た目は不細工チックだったが、あとで聞いてみたら結構良い家柄同士だという話だったので、やっぱり神はそういう者同士を引き寄せるのだな、と感心した。さて、卒業後数年して、この二人の結婚が正式に決まったころ、男の方から私に電話が入った。
「実は、僕は桃実さんの方が好きだったんだ。彼女と知り合う前に桃実さんと知り合っていたら・・・」
と言う意外な告白で、要は、彼女とは結婚するけど、結婚前に僕と付き合ってくれ、という話だった。付き合っている人がいなかった私は、OKした。深い関係なしだし、会ってご飯を食べておしゃべりする分には十分楽しい人だったからである。
彼と会って出歩いてお話していたその期間は、私の友人である彼女には悪かったけど、スリリングで楽しかった。ところが、である。
あるとき、井の頭公園を散歩したあと、公園の外に出たら、次の瞬間、私はその道の上にたたきつけられていた。何が起こったのかさっぱりわからなかったが、次の瞬間、左の足首から、強烈な痛みが走った。道の上に5センチくらい段差があって、その段差を踏み外し、ねんざをしたのであった。まともにねんざをしたのは、あれが初めてであった。あまりの痛さに目がくらみそうになっただけでなく、左の足首を見ると、大きなこぶのようにふくらんでいた。彼につかまって歩くのもやっとであった。
「大丈夫だよ、僕の友人ですぐ治った人がいるから」
などと、その男は支離滅裂な励まし方を私にした。私の家(当時は一人暮らしだった)の前まで私を送ると、そのままバイバイして帰ってしまった。最悪なことに、その次の日から、長野から友人が来て2泊ほどしていく予定が入っていたのである。
左足のねんざは無残だった。紫色に変色し、はれあがった。なんとかタクシーを呼んで秀島病院に行ったが、しっぷだけでなく固定具でぐるぐる巻きにされた。夜も眠っていられないほど痛かった。次の日から来る友人は母に迎えに行ってもらったが、当然、もてなしなど何もできなかった。
男女関係はなくとも、これだけの天罰が下るのだから、いくらくそまじめだと言われようとも、私のような小心者には、やましい交際などできないのである。タイガー・ウッズほどの才能なら、このまま埋もれてしまうことは無いだろうけど、それにしても、プレイできる盛りでの中断はプロ選手には痛いであろう。ビル・クリントンは打たれ強いし、8年間の任期を勤め上げたけど、一生「下半身」のイメージがこびりついてしまった。
あの友人2人が結婚してしばらくたったあと、私は、思い切って、ねんざをした現場を訪れてみた。訪れて、茫然とした。自分の目が信じられなかった。というのも、私は、道の上にあった5センチくらいの段差でこけてねんざをしたにもかかわらず、その道はただの平坦な道で、段差など皆無だったからである。
まさか・・・・ あの段差はどこに行ったの・・・・
あれは、神様が私に注意するために特別に造った段差だったのだろうか。あのとき以上に「キツネにつままれた」経験をしたことは、いまだかつてない。
そんなこと言っていたら時代遅れだとか、フリンの1つや2つくらい大統領でもやっている、とか、うちの会社内は不倫だらけだとかいう話はいたるところで聞く。ベストセラー小説のテーマが不倫だったりすると、最後に心中を図っても「悲恋」として共感を呼ぶ。残された家族にだって怒りや悲しみがあるのだが、小説のメインテーマではないから、そこまで書かれない。
さて、私は昔から、日本人の独身男性にはおよそ恋愛の対象と見られてこなかった。たまに町でナンパされると外国人だった(なぜ?)。私の好きな人はみんな、結婚しているか、彼女がいるか、私のことなど好きでなかった。その後、縁あってアメリカ人と結婚できたが、やっぱり日本人には縁が無かったし、昔、手相見の占いさんに「よくこんな手相で1回でも結婚できましたね」と驚かれたのは、案外当たっていたのかもしれない。
20代前半のときから、既婚者に誘われることがたびたびあった。が、私は男女の機微には疎く、「なんでこの人は親切にご馳走してくれるんだろう」と無邪気な疑問を持っていたほどだったから、その「後」に期待されたことなど、到底うまくやれる自身は無かったし、なまじ法律知識があったので、「奥さんにばれたら、民法90条の公序良俗違反で損害賠償請求されるわ」と思うと、とてもではないが、そんな勇気はなく、ご馳走を食べるだけでさよならした。
大学時代の友人同士で結婚したカップルを知っている。お互い、見た目は不細工チックだったが、あとで聞いてみたら結構良い家柄同士だという話だったので、やっぱり神はそういう者同士を引き寄せるのだな、と感心した。さて、卒業後数年して、この二人の結婚が正式に決まったころ、男の方から私に電話が入った。
「実は、僕は桃実さんの方が好きだったんだ。彼女と知り合う前に桃実さんと知り合っていたら・・・」
と言う意外な告白で、要は、彼女とは結婚するけど、結婚前に僕と付き合ってくれ、という話だった。付き合っている人がいなかった私は、OKした。深い関係なしだし、会ってご飯を食べておしゃべりする分には十分楽しい人だったからである。
彼と会って出歩いてお話していたその期間は、私の友人である彼女には悪かったけど、スリリングで楽しかった。ところが、である。
あるとき、井の頭公園を散歩したあと、公園の外に出たら、次の瞬間、私はその道の上にたたきつけられていた。何が起こったのかさっぱりわからなかったが、次の瞬間、左の足首から、強烈な痛みが走った。道の上に5センチくらい段差があって、その段差を踏み外し、ねんざをしたのであった。まともにねんざをしたのは、あれが初めてであった。あまりの痛さに目がくらみそうになっただけでなく、左の足首を見ると、大きなこぶのようにふくらんでいた。彼につかまって歩くのもやっとであった。
「大丈夫だよ、僕の友人ですぐ治った人がいるから」
などと、その男は支離滅裂な励まし方を私にした。私の家(当時は一人暮らしだった)の前まで私を送ると、そのままバイバイして帰ってしまった。最悪なことに、その次の日から、長野から友人が来て2泊ほどしていく予定が入っていたのである。
左足のねんざは無残だった。紫色に変色し、はれあがった。なんとかタクシーを呼んで秀島病院に行ったが、しっぷだけでなく固定具でぐるぐる巻きにされた。夜も眠っていられないほど痛かった。次の日から来る友人は母に迎えに行ってもらったが、当然、もてなしなど何もできなかった。
男女関係はなくとも、これだけの天罰が下るのだから、いくらくそまじめだと言われようとも、私のような小心者には、やましい交際などできないのである。タイガー・ウッズほどの才能なら、このまま埋もれてしまうことは無いだろうけど、それにしても、プレイできる盛りでの中断はプロ選手には痛いであろう。ビル・クリントンは打たれ強いし、8年間の任期を勤め上げたけど、一生「下半身」のイメージがこびりついてしまった。
あの友人2人が結婚してしばらくたったあと、私は、思い切って、ねんざをした現場を訪れてみた。訪れて、茫然とした。自分の目が信じられなかった。というのも、私は、道の上にあった5センチくらいの段差でこけてねんざをしたにもかかわらず、その道はただの平坦な道で、段差など皆無だったからである。
まさか・・・・ あの段差はどこに行ったの・・・・
あれは、神様が私に注意するために特別に造った段差だったのだろうか。あのとき以上に「キツネにつままれた」経験をしたことは、いまだかつてない。