遠方なので、母をはじめ、首都圏にいる年寄りの親族は葬儀には出席せず、香典だけ送った。
さてさて、今日、実家に寄ったら、母が
「こんなものが来たの」
といって、「志」という黒いのしのついた大きな箱を指差した。
げ。お返しだ~~~。
箱の大きさから、シーツか毛布だろうと思った。開けてみたら、案の定、毛布だった。
父が死んで、不要な寝具は、涙を呑んで大量に処分したというのに。
寝具なんて、本当に、もらいものがあふれているというのに。
母が、東京の親戚の「自慢話おばば」に電話したところ、向こうにも同じと思われる毛布が届いており、彼女の家には、似たような「お返し毛布」がほかに3,4点もある、という。
日本人は、どうしてこんなどうしようもない習慣にこだわるのだろう。
「どうせなら、新潟なんだから、コメでも送ってもらったほうがいいのにねえ」
と母は言う。もっともだ。
しかも、この新潟の親戚からは、先に喪中はがきもいただいているが、両方とも、宛名は、死んだ父なのである。母は面白くないであろう。田舎の人は、なんでこう、昔かたぎに「戸主」宛てにしないと気がすまないのであろう。
わが父の喪中はがきを出してから、本当に、ごくたま~に、香典を送ってくる人がいる。
はたまた、「どうしてもお線香を上げたい」と言って、母が断っているのに、気がすまないらしく、無理やり訪問してくる客もいる。
「どうしても来たい」という義理人情があるのはありがたいと思わなければならないのかもしれないが、正直、老母には、来客がおっくうなのである。来る人は、「行かなければならない」という自分の気持ちしか考えられないのかもしれないが、迎える人の大変さをもっと考えて欲しい。
母などは、天下一のおひとよしだから、足腰が痛いのにせっせと振る舞いをして、翌日になって一層痛みが増したりしているのだ。私は
「もういい加減お人よしをやめなさい。足が痛いとか、体の調子が悪いとか丁寧にウソを言ってご遠慮願えばいいでしょ」
と諌めるのだが、母はなかなかウソがつけないたちだ。
一番ありがたいのは、さくっと葉書か手紙をくださる人。心がこもっているし、受け取る側にも負担にならない。大変ありがたいしスマートだ。
次にありがたいのは、手紙に香典を添えて、しかも「お返しなどは一切不要です」という言葉を添えて下さる方。
あんまりありがたくないのは、香典だけ送ってくる人。
もっといやなのは、こちらが「お気持ちだけで十分ですから」と何度断っても「来たい、来たい」と言い張って来てしまうKYな人。来訪を断っているのは、何も遠慮とか謙遜をしているばかりでないことを、特に、年寄りだけが残ってしまった家の場合は、察してほしいものだと思っている。