たしか、亡くなった脚本家の向田邦子さんが、
「日本人には貧乏人の役は似合うけど、大金持ちの役が似合う人がいない」
とおっしゃっていた。日本人は、国民全体が貧乏チックなほうが落ち着くようだ。私も、貧乏サラリーマンの家庭で育ったので、金持ちの暮らしぶりはわからないし、「うちお金ないの」という人の方が、「金が余って困る」という人より親しめる。ただし、後者の人が周囲にいた記憶はない。

鳩ママが、判明しているだけで、息子たちに、おのおの10億円くらいの「子供手当」を渡していた。贈与なら贈与税の脱税、政治資金なら政治資金規正法違反、という、どちらにころんでもまずい金であって、ぽっぽブラザーズは、仲が悪いにも関わらず、二人とも同様に「知らなかった」と発言していたが、この一家にしてみたら、
「これっぽっちの金で、世間は何でそんなに騒ぐの?何が悪いの?」
という感覚であろう。贈与税の年間非課税額は110万円であるが、彼らにしてみたら、110万円などは、小学生のお小遣い程度にちがいない。しかし、国が贈与税の枠にうるさいのは、贈与税が相続税の補完税としての機能を持っているからだ。贈与税が低ければ、相続税の支払いを回避するため。死亡前にみな贈与に回してしまい、まともに相続をする人がいなくなる。

「ノブレス・オブリージュ」という言葉がある。生まれつき金に不自由しないような家庭に育った者らには、より多くを世の中のために貢献する責務があるという考えである。しかし、国民全体が貧乏をよしとするような風潮のせいなのか、彼らに自覚が足りないのか、ぽっぽ家がそういった責務を果たしているとかいう話は、私が聞き洩らしているだけなのかもしれないが、聞いたことがない。アメリカでは、ビル・ゲイツや高年俸のメジャーリーガーの例を見るように、税金対策かもしれないけれど、富裕層ほどせっせと慈善事業に打ち込んでいるし、それを当然の義務を見る風潮が強い。それに反し、日本では、「進んで寄付をする」という習慣があまりない。

私のような庶民になど、ブリヂストン家+ぽっぽ家の裕福さなど推し量るべくもないが、裕福なら裕福らしく、姑息に「知らなかった」などと逃げたりしないでほしい。
「あれは贈与でした。年間の非課税上限がたったの110万円だったことは知りませんでした、これから追徴課税に応じます」
と、いさぎよく認めるほうがどれほど好ましいことか。現に、鳩弟はこの手段に出て、仲の悪い兄を一層の窮地に追いやった。とにかく、親子間での貸与だとか、白々しいうそなど言わず、金持ちなら金持らしく、堂々非を認めて税金を払えばいい。

鳩ママは、たまたま、石橋夫妻の間に生まれたというだけで、気の遠くなるような金銭を受け継いだ。しかし、昔の女性だから、そのカネで社会に出ることも、事業を起こすことも考えたことがなかったであろう。生まれてから、ただひたすら、花嫁修業をし、「その金を持参して誰のもとに嫁ぐか」だけを考えて育てられ、いざ嫁いだら、家を継ぐ男の子を産み育てることだけを任務として生きてきたのであろう。鳩ブラザーズも、ママからのおカネがなかったら、選挙で勝ち続けることも、ましてや、総理大臣になることもかなわなかったに違いない。鳩ママの本望はそうやってカネの力で形の上では遂げられたのかもしれない。しかし、私らのように、毎日手足と頭を使って働かねば生きていけない庶民のほうが、腐るほど金があって、生活の心配など皆無な鳩ママより、ひょっとして幸せなところがあるかもしれない、と思ったりした。ひがみではなくてね。