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前回、国際結婚のせいで、我が家では「鍋物禁止」である話をした。これが日本人同士だったら相当の喧嘩になるであろうけれど、鍋のなんたるかを理解しないガイジンだし、湯気を見ると自分が湯気を立てて怒るので、戦うよりあきらめた方が賢い。そもそも、食卓の上で何か煮ながら食べるという習慣は、東アジア独特のものではないだろうか。ヨーロッパには「ブイヤベース」というスープがあるが、これとても食卓の上で煮ながら食べるものではない。

私は、夫の仕事の都合で4年間京都に住んだが、アメリカ人とは結婚できても、関西人男性とは絶対に無理だと何度も思ったし、いまでも思う。言葉も習慣も何もかも、「中途半端に」違いすぎる。実際、北海道と九州の人との結婚話はよく聞くけれど、東京と大阪の人の間で結婚する、という話はめったに聞かない。

今日書くのは、私が京都時代に勤務していた弁護士事務所が扱っていた離婚調停事件の話である。妻は兵庫県明石市の人で、夫はつくば市の人であった。これを聞いただけで私は「むむむ?無理じゃんか」と思った。で、離婚の申立て内容をつづった妻からの申立書を見たら、離婚の原因の一つに、
「いかなごのくぎ煮を送ったのに、夫の実家ではあまり喜ばなかった。明石では、いかなごのくぎ煮は、春の訪れを喜ぶ名物なのに、関東ではそれを理解しなかった」
という陳述があるのを見て、
「あっちゃ~、このヒト、まるっきり井の中の蛙!」
とあきれた。

ちょっとそれるが、私は、関西の人が「関東では」と呼ぶのがどうにも嫌いである。関西人、関西弁とはいうけれど、「関東人」「関東弁」とは言わない。私も周囲の京都人から何度も
「桃実さんは関東のかたなんですね」
「関東に電話しはるんですか」
と言われたりしたのが、どうにも気持ち悪かった。横浜、とか東京、とか、具体的な地名を言って欲しいし、百歩譲って、神奈川県や埼玉県を「東京」に含めてしまってもお目こぼしできる。しかし、群馬県や栃木県、茨城県まで含めたエリアと一緒にされたくはないな~、すっごく違うんだけど、と思う。

いかなごのくぎ煮に戻るが、明石から神戸のエリアでは、春の訪れを告げる風物詩らしい。漁獲後、直ちに調理しないとならないので、そのエリアの主婦たちは、春になると魚屋の前に行列をなし、大量に買って煮るらしい。しかし、それ以外の地域の人にとっては、単なる「小魚の佃煮」にすぎないではないか。春の桜や秋のもみじ、冬の鍋のような全国版ではないのだから、
「くぎ煮?だから、何なの」
と言われても仕方のないことである。それをしも、
「関東の人は、明石の文化を理解しない不風流人」
として離婚を求めるなら、この妻は、初めから明石~神戸エリア以外の人と結婚すべきではなかったのだ。あるいは、結婚後、10年くらいかけて、
「ああ、今年もくぎ煮の季節になったねえ」
などと夫に言わせるくらい、じわじわ長期戦で教育していくべきであった。それを、結婚早々、
「くぎ煮を知らない」
ことが理由の一つとなって、離婚に発展させるとは、あまりに視野と世界が狭すぎる。山形県の人が、県外の人と結婚してみたら、「芋煮」をやらないことを知った、と言って離婚に発展させるだろうか。

私の場合は鍋物をあきらめたが、この明石の妻の場合は夫よりくぎ煮を取った、というわけだ。