iPhoneで産経新聞を読んでいたら、今回起きた韓国の射撃場での火災事件にて観察された、日韓の国民性の違いについて韓国の数紙が触れている記事の引用があったので、おもしろいから転載してみたい。
韓国(や中国)は、葬儀の時、泣けば泣くほど良いとされているらしく、「泣き女」まで雇って泣き声をあげさせ、葬儀を盛り立てる習慣があるという。理性を尊び、人前で感情をあらわにすることをはしたないことと考える我々日本人には到底考えられない話だ。海をはさんだ隣の国とは信じられないほどの習慣の違いである。
さて、夕刊紙の文化日報の11月19日版「取材手帳」から。
「日本人遺族たちの節度ある哀悼」と題し、「犠牲になった日本人観光客の家族達の感情を抑えた対応振りが印象深く残った」としている。
「日本人遺族にとり、家族の身元確認と、愛する家族がどうして死にいたったのかという原因究明が何より重要なことに感じられた。補償問題は一切口にしなかった」ことに着目、韓国の事情と比較している。「事故が発生するたびに補償問題がすぐ起きて、金額でもめてきた韓国とはかなり違う姿だ。韓国政府と対策本部が補償問題を提起したのに、むしろ彼らは遺体を解剖しないで欲しいという要望を先にした」
さらに「集団行動を自省しようとする日本人遺族らの態度も印象的だった」とし、「韓国政府に何か伝えたい場合、釜山総領事館関係者など公式ルートで意見を伝えていた。1家族に1人の専属通訳がついていたにもかかわらず、個人的なコメントを出すことはほとんどなかった」と評価した。
「警察の捜査期間中、日本人遺族は韓国政府を表立って非難したことはなかった。言葉を慎んだし、号泣することもなかったし、韓国に対する露骨な敵意や要求も示さなかった」と、同様の事態における韓国人との違いをあげた。(後略)
東亜日報
「日本人犠牲者の遺族のつつましやかな哀悼」
(略)自己翌日に韓国に来た日本人遺族は感情を抑え、悲しみを心中に押しとどめた。血走った目で怒りあらわにする姿は見られず、涙ながらに訴える記者会見のようなものはなかった」とわが子の死にも冷静を保った遺族に日本人特有の姿を見出した。
「日本人遺族らのつつましやかな哀悼は、他人が見ている前で感情をあらわにすることをはばかる日本式祭礼文化と関係が深い」と指摘する。
「国ごとに文化の差はあるが、落ち着きの中で亡き人への礼儀を守る日本の祭礼文化は、円滑な事態収拾策を引き出す手助けとなる」と日本人の特性を評価した。
朝鮮日報
「声出して泣かない日本人」
(略)韓国では喪主など遺族に周囲が「声を出してなきなさい」と勧めるが、これがはそうすることが故人の魂を慰めることになると信じているからだ」が、日本人は葬式でもほとんど声を出して泣くようなことはしない。それは「自分の悲しみで他人に気遣いさせることを”迷惑”だと考え、悲しみを外に出さないことを美徳とする態度が背景にあるからだ」という。こうした好意的(?)な日本人論の一方で、韓国政府が日本人犠牲者に「いち早く謝ったのはいいことだ」としながら、「韓国人が日本で同じような事故に遭った場合、どうだろうか」とし、最後に、「日本の犠牲者たちは悲しみを怒りにつなげなかったけれど、日本総領事館を通じて自分達の要求はちゃんと貫いている」と冷静さを協調している。
==============================
最後の朝鮮日報にイヤなコメントがあるのも、日本人遺族の態度があまりに立派で、民度の低い韓国では、到底このような冷静かつ大人の態度は取れないことを認めたくないから、日本人の立派な振舞いに対する嫉妬が出たのであろう。
作家の曽野綾子氏は、「文化は等価だ」とおっしゃる。つまり、遺族が死んで「哀号、哀号!」と張り裂けんばかりの声を大勢で上げて泣く文化も一つであるし、また、公衆の面前では、極力感情を押し殺して冷静な態度をとらなければ見苦しいと考える日本のそれもまた文化の一つであり、それら文化に価値の差はない。
が、どう見ても、韓国紙は、日本人遺族のすばらしい振舞い方に、嫉妬しながらも敬意を認めざるをえないようだ。このような理性的な行動や反応は、韓国内では到底お目にかかれるものではない。
韓国では、誰かが死ぬと、哀号、哀号と叫ぶ間もなく、まずもう「賠償金をよこせ!」を食って掛かるようだ。日本では、死者を大切に弔うことが第一であって、カネ云々は、もっとあとになってからひそやかに提起する話である。
文化は等価であるかもしれないが、民度や理性において、韓国はどうしても日本の足元にも及ばないことを、今回の日本人遺族の皆さんは、はからずも、民間大使として、立派に証明してきてくださった。心から敬意を表したい。
韓国(や中国)は、葬儀の時、泣けば泣くほど良いとされているらしく、「泣き女」まで雇って泣き声をあげさせ、葬儀を盛り立てる習慣があるという。理性を尊び、人前で感情をあらわにすることをはしたないことと考える我々日本人には到底考えられない話だ。海をはさんだ隣の国とは信じられないほどの習慣の違いである。
さて、夕刊紙の文化日報の11月19日版「取材手帳」から。
「日本人遺族たちの節度ある哀悼」と題し、「犠牲になった日本人観光客の家族達の感情を抑えた対応振りが印象深く残った」としている。
「日本人遺族にとり、家族の身元確認と、愛する家族がどうして死にいたったのかという原因究明が何より重要なことに感じられた。補償問題は一切口にしなかった」ことに着目、韓国の事情と比較している。「事故が発生するたびに補償問題がすぐ起きて、金額でもめてきた韓国とはかなり違う姿だ。韓国政府と対策本部が補償問題を提起したのに、むしろ彼らは遺体を解剖しないで欲しいという要望を先にした」
さらに「集団行動を自省しようとする日本人遺族らの態度も印象的だった」とし、「韓国政府に何か伝えたい場合、釜山総領事館関係者など公式ルートで意見を伝えていた。1家族に1人の専属通訳がついていたにもかかわらず、個人的なコメントを出すことはほとんどなかった」と評価した。
「警察の捜査期間中、日本人遺族は韓国政府を表立って非難したことはなかった。言葉を慎んだし、号泣することもなかったし、韓国に対する露骨な敵意や要求も示さなかった」と、同様の事態における韓国人との違いをあげた。(後略)
東亜日報
「日本人犠牲者の遺族のつつましやかな哀悼」
(略)自己翌日に韓国に来た日本人遺族は感情を抑え、悲しみを心中に押しとどめた。血走った目で怒りあらわにする姿は見られず、涙ながらに訴える記者会見のようなものはなかった」とわが子の死にも冷静を保った遺族に日本人特有の姿を見出した。
「日本人遺族らのつつましやかな哀悼は、他人が見ている前で感情をあらわにすることをはばかる日本式祭礼文化と関係が深い」と指摘する。
「国ごとに文化の差はあるが、落ち着きの中で亡き人への礼儀を守る日本の祭礼文化は、円滑な事態収拾策を引き出す手助けとなる」と日本人の特性を評価した。
朝鮮日報
「声出して泣かない日本人」
(略)韓国では喪主など遺族に周囲が「声を出してなきなさい」と勧めるが、これがはそうすることが故人の魂を慰めることになると信じているからだ」が、日本人は葬式でもほとんど声を出して泣くようなことはしない。それは「自分の悲しみで他人に気遣いさせることを”迷惑”だと考え、悲しみを外に出さないことを美徳とする態度が背景にあるからだ」という。こうした好意的(?)な日本人論の一方で、韓国政府が日本人犠牲者に「いち早く謝ったのはいいことだ」としながら、「韓国人が日本で同じような事故に遭った場合、どうだろうか」とし、最後に、「日本の犠牲者たちは悲しみを怒りにつなげなかったけれど、日本総領事館を通じて自分達の要求はちゃんと貫いている」と冷静さを協調している。
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最後の朝鮮日報にイヤなコメントがあるのも、日本人遺族の態度があまりに立派で、民度の低い韓国では、到底このような冷静かつ大人の態度は取れないことを認めたくないから、日本人の立派な振舞いに対する嫉妬が出たのであろう。
作家の曽野綾子氏は、「文化は等価だ」とおっしゃる。つまり、遺族が死んで「哀号、哀号!」と張り裂けんばかりの声を大勢で上げて泣く文化も一つであるし、また、公衆の面前では、極力感情を押し殺して冷静な態度をとらなければ見苦しいと考える日本のそれもまた文化の一つであり、それら文化に価値の差はない。
が、どう見ても、韓国紙は、日本人遺族のすばらしい振舞い方に、嫉妬しながらも敬意を認めざるをえないようだ。このような理性的な行動や反応は、韓国内では到底お目にかかれるものではない。
韓国では、誰かが死ぬと、哀号、哀号と叫ぶ間もなく、まずもう「賠償金をよこせ!」を食って掛かるようだ。日本では、死者を大切に弔うことが第一であって、カネ云々は、もっとあとになってからひそやかに提起する話である。
文化は等価であるかもしれないが、民度や理性において、韓国はどうしても日本の足元にも及ばないことを、今回の日本人遺族の皆さんは、はからずも、民間大使として、立派に証明してきてくださった。心から敬意を表したい。