憲兵中尉 本川貞、軍属 本田始、軍属 牟田松吉、軍属 武田定、
通訳 高木芳市、大佐 菅沢亥重、大尉 末松一幹、軍曹 穂積正克
昭和23年7月3日土曜日、巣鴨プリズンにて処刑される。
本川貞憲兵中尉 四十一才
岐阜県の生れ、一兵卒からたたき上げて
憲兵試験に合格した生真面目一本の人である。
東京空襲で撃ち落とされた瀕死の米兵を
殺したとされ、処刑された。
自虐史観脱却、自敬史観確立
今こそ戦後体制打破を!
令和維新↓
<解説>
昭和20年3月10日 東京大空襲時、アメリカのB29一機が茨城県の山林に墜落した。
3人の搭乗員はパラシュートで脱出したが、大火傷を負った一人の米兵は土浦憲兵隊に収容され、
翌日、東京憲兵隊本部の本川貞中尉のもとに移送されてきた。本川中尉は八方手を尽くしたが、前夜の大空襲で病院はどこも空いておらず、夕方になって軍司令部から「全責任を持つ」と言われ、米兵の身柄を軍司令部に引き渡した。しかしながら、不幸にも、その後、手の施しようもなく米兵は死亡した。
昭和21年4月、この事件に関連した7人のうちの一人として、本川中尉が巣鴨拘置所に連れて行かれ、本川中尉だけが死刑を宣告された。
本川中尉は歩兵の一兵卒からの叩き上げで、厳しい憲兵試験に合格して中尉まで昇進された生真面目な軍人であり、夫人との間には一男二女の子宝にも恵まれ、41歳の働き盛りであった。
トイレットペーパーに書かれた遺書の辞世の御歌
「無言にて引かるるときは生地獄 愛しき家族を後にしてかも」
「諦めて諦めきれぬ諦めを なおまた諦めするが諦め(上記)」
先人必死の叫びを断じて忘れるな!
先人の教えを引き継ぐのは、我らなり!
みんなで守ろう祖国の命↓